人の意思決定に関わること 弁理士の仕事

生きていると「選ぶ」ことが求められる場面に度々直面する。

仕事であれ、私生活であれ、人生は「選択」の連続だ。

例えば自分は去年9月末で事務所のパートナーを辞職し、独立することを「選択」した。
こういった事はまさに「選択」という表現がしっくりくるが、なにも進退を左右するような大きな事に限らず、人は常に「選択」している。

仕事ができる人/できない人、というのもつまりは仕事における行動の「選択」の精度によるものかと思う。

あまり意識されることは少ないのかもしれないが、はっきり言って、「選択」は疲れる。
何が最善かを考え、失敗や後悔がないように自らの振る舞いを「選択」し、その結果起こり得ることについて全ての責任を取る。こんなに精神的に疲弊することは無いだろう。

14年前に大学を卒業して以来の社会人経験の中で、「会社」という組織において働く能力が自分には皆無であることを重々承知しているものの、何も「選択」せずに死ぬまで飯が食えるのなら、歯車となって働くことには一定のメリットがあるのだろう。その人生がトータルで楽しいかどうかはさておき、余暇を楽しめるのであればそんな人生もアリだ。
但し、その場合には知財の仕事ではなく、自分にとって何の思い入れもない、どうでもいい仕事を選ぶが。。。

そう思うと、人が「選択」する際に材料を与え、納得のいく結論を出させるような、人の意思決定に関わる仕事というのはいつの世にも高い需要があるのだと思う。
どんなに科学技術が発展しようとも、占い師がいなくならないのはそういったことかと思う。
卑弥呼の時代にまでさかのぼれば、政治でさえ占いだったのだろうし。

そして、我が生業である弁理士という仕事もそうだ。
この資格を取得するために求められるのは知財法の知識及び特定の技術や他法域等の何らかの専門知識であるが、その目的は依頼者の意思決定を助けることに他ならない。

そして、法の知識や専門知識に基づく判断材料の単なる提供は初級編に過ぎない。
多くの経験が加わり、多くの人の希望や不安を知り、どう「選択」することが最善であるかを提案する。そこまでやれて初めて士「サムライ」として一人前だろう。

が、それが求められない場面も多い。
弁理士になって以来、士「サムライ」とは何か?をずっと考えてきた。
士「サムライ」と胸を張れる弁理士は少ないと思う。
その能力はありながらも、その能力を活かせていない弁理士は多い。
特に大手クライアントの仕事を中心に行う弁理士は、はっきり言って下請け業者でしかなく、言われたことを言われたとおりにやるだけの毎日でしかない。

そして、「これは違う」と思って意見をすると「クライアントの面子を潰した」という非難が起こる。
つまり、世間から「弁理士」、「先生」と呼ばれる人間を顎で使うことにより「大企業の正社員」という立場に満足感を与えるような、接待業務をやっているようなものである。
バカバカしい。

そして、そういった「面子」にこだわるような人間に限って、出てくるアイデアのレベルが低い。
まぁ、出てくるアイデアのレベルが低いからこそ、相手のメンツを潰してでも強く意見するわけだが。

幸せなことに、今の自分には、自分の経験、意志、信念に基づく助言や提案を必要としてくれるクライアントがあり、役者不足ながらも「顧問」という役割を頂いている。

幸せであり、恐怖である。

自分として「それが最善」と思ってはいるものの、自分の言葉によって「会社」という多くの人の人生を左右するものの意志が変わり、決まるのだ。
時には、相手の意思を曲げ、説き伏せる必要さえある。
しかし、その結果が絶対に最善だという保証はどこにもなく、自分の経験や意志や信念のみである。こんな恐怖はない。

幸いなことに、まだ結果が悪かったことはないが、いつか自分の判断ミスや、時世の流れにより悪い結果になることもあるかもしれない。

最近、自分がクライアントを「選択」する基準は、そこにもあるんじゃないかと思った。

今まで、自分がクライアントを「選択」するときは、「面白いものを創っているか」それだけを意識しているつもりだった。それは技術の弁理士としても、著作権の弁理士としても同様だ。

だけど無意識に、クライアントの「人間性」を見ていたように思う。
担当者個人の人間性もそうだが、「会社」という組織にも「人間性」と呼ぶべきものはある。
それを見ている気がする。

悪い結果になった時、このクライアントは何て言うかな?
当然ながら、悪い結果が多いのは問題外だが、数百の事案のうち1件でも悪い結果になった時のクライアントを想像する。

たった1件の悪い結果を槍玉にあげるようなクライアントの意思決定にはやはり関われない。
「他人の力を借りて意思決定を行う」ということの意味をしっかりと理解している相手としか仕事はできない。
結局、好きだと思う相手としか仕事はできない。
自分はそう思う。

願わくば、多くの士業者が、いや、士業者に限らず多くの人間が、そういったことを意識的に考え、「仕事をする相手を選ぶ」ことにより、人と人とのより良い関係が自然と醸成されるような、そんな世の中になって欲しいと思う。

そんな事を考える昨今、

独立した身としては毎日が「選択」の連続であることは言うまでもない。

はっきり言って、疲れる。

服の色をラッキーカラーで決める、程度なら自分もやる。
が、人生の選択において意思決定を第三者に委ねるなんて、とんでもない!と思っていたのに、人が占いに頼る気持ちが少しわかる。

意思決定に関わるなら、その相手のことを好きじゃなければ!
なんて書いているが、無理やりにでも自分の「選択」を手伝ってくれる人が現れないものか、、、

そんなことを考える夜中のフリーターランス

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