「人を指導する事」と「仕事をチェックする事」

とある場所で話していて仕事のチェック・修正と、人の指導についての議論で盛り上がって、かつて自分が指導した弟子の事を考えて改めて気づいた事を少し。

「人を指導する事」と「仕事をチェックする事」とは違うと思います。
重なるんだけど違う。
「人の指導」は、「仕事のチェック」を含むけど、その逆、「仕事のチェック」をしただけでは「人の指導」をした事にはならないでしょう。
過去、事務所で弟子を抱えていた時に自分が漠然と意識していた事を明確に言語化してみます。

「仕事のチェック」の直接的な目的は「人の指導」ではなく、「クライアントに提出する成果物の品質を担保する事」です。
そのためにやるべき事は、弟子の仕事の成果物に目を通し、自分が対応した場合と同様の品質となるように成果物を修正する事。
この世にあまねく存在する、「人を育てることの出来ない上司」の大半が、ここまでの事をやっただけで「指導」した気になっていますね。
しょうもない。

では、どうすれば「人の指導」になるのか、当然ながら修正の内容を弟子に説明する、意識高い系の言葉で言うところの“フィードバック”する事になるわけですが、そのやり方が問題。
修正した内容を弟子に突きつけて「ここはこうだ!」と言うやり方。
これでは「指導」にはなりませんね。
学ぶ力の高い弟子ならばそれだけでも十分育つのだろうけど、結果を相手の能力に求めていてはプロとは言えないでしょう。
「人を育てることの出来ない上司」の大半がやっている事がこれなんでしょうな。
じゃあ自分はどうやっていたか。
一言で言うと、「議論する事」

箇条書きにするとこんな感じ。
・自分が修正した部分について、弟子はなぜ修正前のように書いたのかを聞き出す。
・弟子が深く考える事なくそう書いたのであれば、その部分の重要性を説明し、どう考えなければいけないかを説明する。
・弟子がある考えに基づいてそう書いた場合、その考えの適否について議論する。
・弟子の考えが間違っていると思えば、判例や審査例等の具体的な事例を示し、その考えを正してどう考えるべきかを説明する。
・弟子の考えは間違っていなくても、その結果として書いたものが考えからずれている場合はそれを説明する。
こんな感じ。

生半可にこれをやると逆に弟子に論破されて終わりそうなので、これをやるためには当然に知識と経験が必要です。
実際、前の前の職場で上司ズラした老害が偉そうに修正してきやがった時は完全に論破しましたしね。
まぁ事務所時代の仕事量的に経験には不自由しませんでしたし、弁理士会の実務系委員会でかなり知識も入れていたので、修正の内容やその思考経路について弟子に納得してもらえない事はありませんでした。

過去、合計で少なくとも500件以上は弟子の仕事をチェックして指導をしている筈なんですが、多分全勝している筈。都合の悪い事は忘れているかもしれませんが。
当然に、「チェック」するだけの方が「指導」するよりも格段に楽です。
自分も、忙しすぎてどうしようもない時、「今回はチェックだけ!」と言う事で「指導」をせずに修正後の明細書をそのままクライアントに送るように弟子に指示した事もあります。

こんな風に、これは「チェック」ではあっても「指導」ではないと言う事を意識できているならいいんでしょうが、それを混同して「指導」もしていないくせに「チェック」だけして師匠ズラしてるエセ師匠が世に溢れているのも残念な話。
まぁ、師匠は選べるわけですし、みなさん師匠は選びましょうね。

そんなこんなで手塩にかけた一番弟子と二番弟子、私が事務所を抜けた後を立派に埋めてくれているのかと思いきや、今では二人ともめでたく大企業の知財部員、、、
まぁ一方は私が抜ける前に巣立って行きましたが。

「転職の時、明細書の実務試験があったんですけど、ご指導のおかげで最高得点で通りました」ってさ。

ハハッ

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