趣味である古代史探訪の記録をどこかで書きたいと思っていまして、知財や技術の事を書く場であるココとは分けようとも思ったんですが、関東外クライアント大募集の事もありますし、もうココでいいや、と思った次第。
で、8/8に弁理士会関係で大阪に行く用事がありまして、遠出する際の常として前入りして古代史探訪をして参りました。
今回の目的地は、大阪府は茨木市~高槻市のエリア。
継体天皇陵をはじめとして各種の古代史伝承地がある魅力的なエリアです。
0.今回のキーワード
継体天皇
・第26代天皇
・応神天皇の5世孫として越国から招かれて河内国にて即位した
・磐井の乱に対応した
媛蹈鞴五十鈴媛命
・初代神武天皇の后
・父は三輪山の祭神 大物主(古事記)
土師氏
・埴輪を生み出した一族
・菅原氏につながる
藤原氏
・言わずと知れた、中臣鎌足から続く古代日本の一大勢力
1.到着~溝咋神社
朝早めの新幹線で新大阪に到着後、JRで茨木駅まで移動します。
最初の目的は溝咋神社。
「溝咋」という文字から自分が連想するのは、三嶋湟咋
御大 安彦良和の古事記シリーズ『神武』では主人公として活躍する加茂建角身命と同一視される神様です。
そして、茨城~高槻エリアは完全に「三島地域」
伝承に現れる文字と神社の鎮座地が完全に一致している。こういうところが古代史ロマンの醍醐味です。
今回の探訪直前になって知った事でしたが溝咋神社は渦中にあり、境内の楠がまさに今日明日にも伐採されてしまうや否やの狭間のようでした。
果たして楠が伐採されてしまう前に間に合うのでしょうか。
という事で茨木駅からバスに乗って溝咋神社最寄りのバス停で降りて歩くこと10分程度、現地に到着しました。
まさに伐採の作業中ではありましたが、渦中の楠もいまだ健在でした。
長きにわたりこの地を見守られていた楠に感謝です。
古代史探訪で神社を訪れた際には、神社境内に掲示されている由緒書きを読むのが楽しみなのですが、ここにはありませんでした。
後からTwitterで聞けた話ですが、過去には由緒書きがあったものの、撤去されてしまったようです。
色々と渦中にある溝咋神社ですが、平穏な日々が戻ることをお祈りします。
溝咋神社の主祭神は初代神武天皇の后である媛蹈鞴五十鈴媛命と、その母である玉櫛媛命。
更に、五十鈴媛命の祖父である溝咋耳命、五十鈴媛命の兄である 天日方奇日方命に加えて、速素盞鳴尊や天児屋根命が祭られています。
主祭神である媛蹈鞴五十鈴媛命は、玉櫛媛命と大物主(日本書紀では事代主)との間に生まれました。
ここで、大物主は初代神武天皇よりも前に大和に君臨していた饒速日と同一神であるという説があります。
饒速日は河内に天降った後に大和で君臨したと伝わっているので、この地域に饒速日につなげられる伝承地があるという点に古代史ロマンを感じます。
2.レンタカー乗車~継体天皇陵~鴨神社(太田茶臼山古墳)
溝咋神社を後にし、ニコニコレンタカー茨木稲葉店まで歩いて車をゲット。
溝咋神社周辺には車を停められるような場所が無さそうだったので、車に乗る前にバスと徒歩で行っておいたのでした。
という事で次の目的地は宮内庁によって継体天皇陵に比定されている太田茶臼山古墳。
宮内庁によって継体天皇量に比定されているものの、学術的に継体天皇陵である事が有力視されているのは同エリアにある他の古墳、今城塚古墳であるといういわくつきの天皇陵です。
近くの駐車場に車を停め、継体天皇陵まで歩きます。
近くにある鴨神社を通るルートを想定していたのですが、Googleマップの通りに歩いて案内されたのは神社の裏側。その後も、通れと言われている道が通れなかったりと、今回はGoogleマップの精度に苦しめられました。。。
道中、継体天皇陵の陪冢を見物しながら継体天皇陵を目指します。
そんなこんなで到着。
天皇陵はどこも同じ、堀の外側で封鎖されてアクセス不能です。
神社と同じく、二礼二拍手一礼で参拝しつつ、まずは正面から見物します。
天皇陵参拝はこれでは終わりません。
周囲に陪冢がある事が一般的なので、陵墓の大きさを感じつつ陪冢を見学しながら周囲を歩きます。
それにしても暑い!
色々と対策はしてきたものの、長時間歩くのは割と拷問です。
という事で陵墓の周りを一周する事は諦め、地図に載っていた陪冢だけ見学して引き返します。
途中、かき氷売ってたので食べました。
駐車場への道中、行きではルートが違って見学できなかった鴨神社にも寄ります。
この神社は「鴨」の名を冠するところから、高鴨神社を総本社とする全国の鴨(加茂)神社の一つと考えられるわけです。
鴨神社といえば葛城氏を連想するわけですが、御祭神が大山積命というところで葛城氏と大山積命との関係に想いを馳せつつ参拝しました。
3.今城塚古墳、今城塚古代歴史館
継体天皇陵周辺の散策を終えたら、次は少し北東の今城塚古墳へ。
古代史探訪の際はなるべく博物館を組み込むようにしています。
周辺の古代史跡の地図が配布されている場合が大半ですし、車を停められるかなど色々と情報を仕入れることができるので便利です。
今回もここを出発点にしたかったのですが、時間の関係でこの順番となりました。
ここは素晴らしかったです!
古墳、遺跡、古社に関連して古代史系の博物館をやる際の失敗例として、総合的な古代史博物館を目指して、スケール的に追いつかずに中途半端で失敗という例をたまに見ます。
対して、今城塚古代歴史館は、今城塚古墳を中心に三嶋地区の古代に特化した展示となってり、非常に見ごたえのあるものでした。
今城塚古墳は発掘もまだまだ行われているようですし、期間をあけてまた来たいと思います。
説明員さんもいて有意義な博物館でした。
一通り館内を観終わったら、いよいよ学術的には継体天皇陵とされる今城塚古墳を見学しに行きます。
この通り!
古墳横の祭祀台跡に埴輪列が再現されていてとても見応えがあります。
それだけではありません。
今城塚古墳が継体天皇陵とされているのはあくまでも学術上であって、宮内庁により比定されているわけではないため、なんと墳丘上に上がれてしまうのです。
この通り、墳丘上に上がる階段が見えます。
墳丘内にも説明書きが設置されています。
普段は遠くから眺めるだけの天皇陵(かもしれない)の墳丘に立っているという事で非常に感慨深いものがありました。
欲を言うならば、五色塚古墳のように葺石などを再現して整備して欲しいところです。今後に期待します。
長くなったのでこの辺りでいったん切ります。
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