芸人レインボーのこのポストが話題になりました。
凄いこいつら、俺らのコント何本もパクリにパクってるけど、許されるのか?! pic.twitter.com/MsDCCm97TA
— レインボー ジャンボたかお (@kando_jjj) September 16, 2024
で、パクリを指摘されたYoutubeチャンネル「オンナノソノ」はこう対応しました。
http://youtube.com/post/UgkxdG3PsGAKDQKOqCSSSw018v0cSUC-awt_?si=zwgJaQif7Qyg6JiC
騒動以降、新しい動画はアップされていないようです。
ケチのついたチャンネルはさっさと捨てて別のチャンネルでやってるんでしょう。
さておき、この騒動は実は難しい論点を含んでいます。
コントのタイトルと漫画のタイトルが(完全に同一ではないにしても)非常に似通っているものが複数あり、そのタイトルは内容がある程度推測できるような具体的なもの、ということで
「パクリだ!」
と噴き上がってしまいましたが、少なくともこれだけでは違法性は確定しません。
この件で違法性を問えるとすればやはり著作権侵害がまず最初に挙がり、レインボーのコントは動画、オンナノソノは漫画(の動画)ですので、著作権侵害が成立するとすれば翻案権侵害(27条)ですが、
(翻訳権、翻案権等)
第二十七条著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。
動画→漫画の翻案というのはそう簡単なものではありません。
少なくとも、タイトルが同一もしくは酷似しているだけ、すなわち作品のテーマが類似しているだけで翻案権侵害が成立することはあり得ません。
著作権法の保護対象は御存知の通り「表現」です。
著作物の翻案については、「既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為」(江差追分事件 平成11年(受)第922号)みたいなことが言われますが、「表現上の本質的な特徴」とは何なのか、どうにも概念的ではっきりしません。
コント(実写動画)→漫画動画という形で表現の形式が変わっている状況において、元の著作物における「表現上の本質的な特徴」が残っていると言えるのでしょうか。
今回であれば、レインボーのコントのタイトルでもある「【コント】夫フリーターだけど幸せな妻と、夫社長だけど幸せじゃない妻」というテーマ、コンセプトで、レインボーのコントとは内容の異なる漫画を描くことは何ら責められるものではなく、それだけでは著作権侵害はもちろん、他のどの法律においても違法性を問うことはできないでしょう。
オンナノソノの漫画動画の中に、レインボーのコントの「表現上の本質的な特徴」が存在するのか否かという議論になるのですが、実写動画→漫画動画という形で表現の形式が変化してしまっている中で、共通する「表現上の本質的な特徴」というものが果たしてあり得るのでしょうか。
オンナノソノ側の動画が削除されてしまっているので内容を詳細に比べられないのが残念なところです。
判例でしか知見を増やせない我々としては、簡単に動画削除して謝ったりせずに是非最高裁まで争って欲しかったですね。翻案権侵害の要件に関する良い教科書が出来上がったはずです。
さておき、
せっかくなので、異なる作品の形態(文章、絵、映像、等)にリメイクされた場合の著作権法上の翻案権侵害の成立について判例を紹介、
するのですが、、、
ここから先を読んで頂く際には注意が必要です。
文章→映画の翻案権侵害についての判例なのですが、その文章というのがノンフィクションでして、作者本人の性被害の体験に基づくもので、そのようなデリケートな題材であるにも関わらず翻案権侵害、つまり無断での映像化が問題になっているところが胸糞ポイントでもあり、非常に読むのが辛い判例です。
重要論点に関する知財高裁判決ということで是非紹介したいとは常々思っていたのですが、判例を読み込むのが辛くてなかなか取り組めていなかったんですね。
というわけで、ここから先には過去に実際に起こった辛い出来事に関する記述が出てきます。
判例
知財高裁平成27年(ネ)第10123号 (原審 東京地裁平成26年(ワ)第10089号)
事案の概要
NHKエンタープライズという会社のディレクター兼プロデューサーという人が「性犯罪被害にあう
ということ」及び「性犯罪被害とたたかうということ」というノンフィクション小説を映画化したいということで作者に話を持ちかけていたが話はまとまっていなかった。にもかかわらず映画化し、平成26年の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2014」で上映しようとして、作者と出版社の抗議により上映は中止された。
判決冒頭の概要に書いてあるのは本当にこの程度の記載で、「なんで作っちゃったの?」という謎が残るんですが、判決文中の人格権侵害の部分では映像化の不許可に関する経緯がある程度具体的に説明されてます。
簡単に説明すれば
被告「映画化させて。」
原告「ダメです。原作としての使用は認めません。」
被告「じゃあ脚本のうち原作から使用している部分は削除して性犯罪被害をテーマにした映画を作ります。」
原告「それなら勝手にすればよろしい。」
被告「できた!」
原告「約束違うやん。めっさ本の内容使ってるやん。」
という感じのようです。
翻案権侵害について
それでは、本題となる翻案権侵害についてです。
文章→映像という、表現形式の異なる作品間での翻案の判断という非常に難しくかつデリケートな判断だからか、それぞれ非常に丁寧に記述されてます。
形式としては
・共通点、同一性について
・同一部分が表現に該当するか否かについて
・同一部分の表現が思想または感情を創作的に表現したものであるかについて
・翻案が成立するかについて
・反対の主張に対する判断
という順番が基本となっており、重複する部分が適宜省略されているという形です。
論点である、異なる表現形式における「表現上の本質的な特徴」については、概ねシーンの流れに基づいて認定されています。
例えば、
別紙対比表4-1のエピソード3について
原作と映画との同一性について
②公園に駆け付けた元恋人(婚約者)が被控訴人(主人公)の様子に驚いて,誰かに何かされたのかと聞いたこと,③被控訴人(主人公)はうなずくことしかできなかったこと,④元恋人(婚約者)が,被控訴人(主人公)が性犯罪被害を受けたことを知ってやり場のない怒りで手近な物に当たる様子,⑤被控訴人(主人公)が元恋人(婚約者)に対して「ごめんなさい」と謝り続けたこと,及びその著述(描写)の順序が共通し,同一性がある。
原作の表現該当性について
本件著作物1-3の同一性ある著述部分全体としてみれば,自ら助けを求めた元恋人から尋ねられたにもかかわらず,性犯罪被害に遭った事実を告げることができず,うなずくことと「ごめんなさい」を繰り返すことしかできない性犯罪被害直後の被害女性の様子と,助けを求められて駆け付けたにもかかわらず,何も助けることができなかったというやり場のない怒りを,大声を出すことと物にぶつけるしかない元恋人の様子とを対置して,短い台詞と文章によって緊迫感やスピード感をもって表現することで,単に事実を記載するに止まらず,被害に遭った事実を口に出すことの抵抗感や,被害に遭ってしまった悔しさ,やるせなさ,被害者であるにもかかわらず込み上げてくる罪悪感をも表現したものと認められる。
創作性について
本件著作物1-3の同一性ある著述部分は,被控訴人が被害を受けた当事者としての視点から,前記②~⑤の各事実を選択し,被害直後の被控訴人の状況や元恋人とのやりとりを格別の修飾をすることなく短文で淡々と記述することによって,被控訴人の感じた悔しさ,やるせなさ,罪悪感等を表現したものとみることができ,その全体として,被控訴人の個性ないし独自性が表れており,思想又は感情を創作的に表現したものと認められる。
翻案成立について
本件映画欄の描写(ただし,「公園近く・路上(夜)」から「公園の入口が視界に飛びこんでくる。」までの冒頭3行を除く。)は,前記(ア)認定の表現上の共通性により,本件著作物1-3の同一性ある著述部分の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものと認められ,本件映画の上記描写に接することにより,本件著作物1-3の同一性ある著述部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるから,本件著作物1-3の同一性ある著述部分を翻案したものと認められる。
と判示されています。
正直なところ、著作権法上の「表現」とは有形的で具体的なものだという認識があります。
上記②~⑤の記述に基づいて別々の人が別々に映像や小説を作れば、おそらく全く異なった作品、著作権侵害の成立なんてあり得ない作品ができあがることだってあるでしょう。
これは、著作物というものを文章で語るうえでの限界ともいうもので、上記②~⑤の記述に該当するから翻案成立、ということではなく、翻案成立の状況を文章化したのが上記②~⑤の記述ということかと思います。
ただ重要なことは、具体的な台詞同士を比較して一致点を列挙するのではなく、あくまでもシーンの内容、流れ、シーンが持つ意味等に著作物としての本質的特徴を見出している点です。
つまり、レインボーのコント→オンナノソノの漫画動画、の場合についても、レインボーのコントの流れや面白さが生み出される源泉となるシチュエーション等がオンナノソノの漫画動画に踏襲されているのであれば翻案権侵害の可能性が高くなってくるということです。
逆に、コントのタイトルやテーマを真似ながらも話の流れが異なるのであれば翻案権侵害というのはあり得ないということですね。
また、これはノンフィクション小説ですから、根底には「事実」ということがあります。
被告は「事実だから創作じゃない」という反論をしているのですが、そこについては下記のように判断されています。
事実(ノンフィクション)であり創作ではないとの指摘について
性犯罪被害を打ち明けられた元恋人(婚約者)がやり場のない怒りを大声と手近な物にぶつける様子であり,なお事実としての具体性を失ってはいないものといえるから,アイディアではなく,事実又は表現が共通するということができる。そして,上記②~⑤の著述を含む本件著作物1-3の同一性ある著述部分は,単なる事実の記載に止まらず,思想又は感情を創作的に表現したものであって,創作性があり,著作物性を認めることができることは,前記(イ)のとおりである。控訴人の主張は,理由がない。
また、自分が言ってるように表現の形式が異なっていることをはじめとして、「表現として異なる」という反論もされていますが、そこについては下記のように判断されています。
細部表現が異なるとの指摘について
本件著作物1では被控訴人の視点で描かれているのに対し,本件映画では婚約者に寄り添った視点で描かれているなど,本件著作物1と本件映画とでは,その表現の本質的特徴が全く異なるから,翻案に当たらないと主張する。しかしながら,前記(1)のとおり,翻案に当たるか否かは,本件映画に接する者が本件著作物1-3の同一性ある著述部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるか否かにより判断されるべきものであり,控訴人の主張するような視点やその表現部分の意味内容などは,表現(形式)上の本質的な特徴を構成する限度で考慮されるにすぎないというべきである。そして,本件映画のうち,別紙対比表4-1のエピソード3の本件映画欄の描写(略)に接した者は,前記(ア)の表現上の共通性により,本件著作物1-3の同一性ある著述部分における表現上の本質的な特徴を直接感得することができることは,前記(ウ)のとおりである。控訴人の主張は,理由がない。
これについてはかなり踏み込んだ判断だな、と感じます。
最高裁で争われていたらひっくり返っていた可能性もあるとさえ思います。
特筆するべき点として、
本件著作物1では被控訴人の視点で描かれているのに対し,本件映画では婚約者に寄り添った視点で描かれているなど,本件著作物1と本件映画とでは,その表現の本質的特徴が全く異なるから,翻案に当たらない
という指摘に対する返しは
前記(ア)の表現上の共通性により,本件著作物1-3の同一性ある著述部分における表現上の本質的な特徴を直接感得することができることは,前記(ウ)のとおりである。
というもので、ではここで触れられている前記(ウ)とは何かというと、上で引用した「翻案成立性について」の部分で、それを読んでいくと更にその前、その前と遡って読むことになるのですが、上記引用した「同一性について」「表現該当性について」「創作性について」「翻案成立性について」以上の説明は一切ありません。そしてその文章を読むだけでは「これは表現なのか?アイデアなのか?」という疑問が消えないのです。
知財の保護対象を語るとき、禅問答に達することがあります。
この件も同様で、コント(実写動画)、漫画動画というれっきとした表現物は確実に存在するにも関わらず、その著作権侵害を語るうえで言語を介することによって対象が概念化してしまい、「概念、アイデアは表現ではない」という局面に到ってしまう。
思考の迷路に出口はないのですが、とにかく重要なことは台詞の一致が要件にはなっておらず、シーンの内容、流れ、その意味合いが本質的特徴として認定されて翻案権侵害が認定されているということです。
この台詞の一致が要件にはなっていない、というのは判決文でそこに触れられていないことに加えて、台詞の一致を理由に主張された著作権侵害が否定されているということも理由です。
そこを引用する前に、他のシーンについての本案件侵害の判断をずらっと引用しておきます。
別紙対比表4-1のエピソード4について
同一性について
事件翌朝に元恋人(婚約者)が被控訴人(主人公)に仕事を休むように勧めたこと,②それに対し,被控訴人(主人公)が,事件を理由に仕事を休むことはできないと拒んだことが共通し,同一性がある。また,②の場面の本件著作物1の「なんて言って休めばいいの?」という言葉と,本件映画の「なんて言って休んだらいいの?」という台詞とは,ほぼ同一である。
創作性について
著述中の同一性のある部分(以下「本件著作物1-4の同一性ある著述部分」という。)は,性犯罪被害に遭った翌朝の元恋人との会話の形式で,被害を他人に知られることに対する恐怖,被害に遭った事実は現実であるのにこれを正直に話すことはできないやるせなさ,平常を装うしかない無力感,不条理さ等を表現したものと認められ,そのための事実の選択や感情の形容の仕方,叙述方法の点で被控訴人の個性ないし独自性が表れており,表現上の創作性が認められる。
翻案成立について
本件映画欄の描写は,前記(ア)認定の表現上の共通性により,本件著作物1-4の同一性ある著述部分の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものと認められ,本件映画の上記描写に接することにより,本件著作物1-4の同一性ある著述部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるから,本件著作物1-4の同一性ある著述部分を翻案したものと認められる。
細部表現が異なるとの指摘について
被控訴人(主人公)における仕事を休めないとする意味合いや,被控訴人(主人公)と元恋人(婚約者)との関係が異なり,その表現の本質的特徴が全く異なるから,翻案に当たらないと主 しかしながら,前記ア(オ)と同様の理由により,控訴人の主張するような表現部分の意味内容や登場人物の関係性などは,表現(形式)上の本質的な特徴を構成する限度で考慮されるにすぎないというべきである。そして,本件映画のうち,別紙対比表4-1のエピソード4の本件映画欄の描写に接した者は,前記(ア)の表現上の共通性により,本件著作物1-4の同一性ある著述部分における表現上の本質的な特徴を直接感得することができることは,前記(ウ)のとおりである。控訴人の主張は,理由がない。
別紙対比表4-1のエピソード6について
同一性について
エピソード6-1と本件映画とは,「翻案該当性」欄記載のとおり,①被控訴人(主人公)が元恋人(婚約者)に対し,また自分が襲われてもいいのかなどと挑発的,脅迫的な発言をしたこと,②元恋人(婚約者)が被控訴人(主人公)に対し,被控訴人(主人公)が被害に遭ったことを本当は喜んでいたとか,スリルがあって気持ちいいと思っていたとか,被害を受けた被控訴人(主人公)と付き合っているだけで感謝して欲しいなどという,被控訴人(主人公)の気持ちを逆撫でし,被控訴人(主人公)を絶望させるような発言をしたことが共通し,同一性がある。また,①の場面の本件著作物1の「また襲われてもいいの?」という言葉と,本件映画の「健ちゃんはまた私が襲われてもいいの?」という台詞,②の場面の本件著作物1の「お前ホントは喜んでたんだろ。スリルがあって気持ちいいとか思ってたんだろ」や「お前みたいな汚れた女とつき合ってやってんだ。感謝しろ!」という言葉と,本件映画の「おまえさあ,その二人組だっけ,犯されているとき,本当は興奮して濡れてたんだろ?また犯されたいって,今もそう思ってるんだろう?」や「今までつきあってやっただけでも感謝してほしいね」という台詞とは,ほぼ同一である。
表現該当性について
事件後の被控訴人と元恋人との会話の中から,激しい挑発的な内容の発言を選択して,これを続けざまに列挙して著述(表現)することにより,単に事実を記載するに止まらず,性犯罪被害に遭った被控訴人が元恋人に対して甘えて依存し,元恋人には自分を護るべき義務があるというような気持ちを抱き,これを元恋人に対し脅迫的な言動でぶつけてしまうしかなかった被控訴人の不条理かつ不安定な精神状態や,被控訴人の気持ちを理解しようとしながらも,受け止めることが負担になり,被控訴人に反発し,あるいは,支えようとした被控訴人を逆におとしめてでも,自らを正当化しようとするまでに,精神的に追い詰められていった元恋人の精神状態などをも表現したものと認められる。
創作性について
本件著作物1-6-1の同一性ある著述部分は,被控訴人が被害を受けた当事者としての視点から,前記①及び②の各事実を選択し,事件後の被控訴人と元恋人との会話を生々しく記述することによって,被控訴人の感じた上記の不条理かつ不安定な精神状態や,元恋人を精神的に追い詰めてしまったことに対する申し訳なさ等を表現したものとみることができ,その全体として,被控訴人の個性ないし独自性が表れており,思想又は感情を創作的に表現したものと認められる。
シーンの意味合いが異なるとの指摘について
本件著作物1のエピソード6-1では,別れのシーンではなく恋人たちの衝突のシーンとして描かれているのに対し,本件映画では,婚約者の一方的な意思に基づく別れが,主人公の社会からの疎外の第一段階として描かれており,本件著作物1と本件映画とでは,描かれているシーンも,その表現の本質的特徴も全く異なるから,翻案に当たらないと主張する。
しかしながら,前記ア(オ)と同様の理由により,控訴人の主張するような表現部分の意味内容などは,表現(形式)上の本質的な特徴を構成する限度で考慮されるにすぎないというべきである。そして,本件映画のうち,別紙対比表4-1のエピソード6の本件映画欄の描写(略)に接した者は,前記(イ)の表現上の共通性により,本件著作物1-6-1の同一性ある著述部分における表現上の本質的な特徴を直接感得することができることは,前記(エ)のとおりである。控訴人の主張は,理由がない。
別紙対比表4-1のエピソード7について
同一性について
①被控訴人(主人公)が意を決して,性犯罪被害に遭ったことを母親に告白したこと,②それに対して母親が被控訴人(主人公)を優しくいたわるどころか,逆に被害を打ち明けた被控訴人(主人公)を怒ったこと,③その後も両親は被控訴人(主人公)を気遣うどころか厳しい言葉を投げ,それに対して被控訴人(主人公)が失望と怒りをぶつけたこと,④被控訴人(主人公)は母親に優しく抱きしめてもらいたかったが,その願いがかなわなかった点において共通し,同一性がある。また,②の場面の本件著作物1の「なんでいまさらそんなこと言うのよ!?あんたの言うこと信じられない!!」という言葉と,本件映画の「どうして今頃になってそんなことを打ち明けるの?お母さん,あなたの神経が信じられない!」という台詞,③の場面の本件著作物1の「お前は強い子だから,そんなこと(事件のこと)を気にするような子じゃないでしょ」という言葉と,本件映画の「お前は強い子だから,そんなことは気にせずに今までどおり生きていけるはずだ」という台詞,③の場面の本件著作物1の「あんたが襲われたのはあんたのせいではないけど,私たちのせいでもないんだから,そんなことで私たちを責めないでよね!」という言葉と,本件映画の「あなたが襲われたのは,私たちのせいだって言うの?そんなの筋違いだわ!」という台詞とは,ほぼ同一である。
表現該当性について
同一性のある部分(略)は,性犯罪被害を受けた被控訴人が,母親に対し,母親にいたわってもらいたい,すぐに真実を告白できなかった自分を理解して欲しいとの思いで事件を告白したにもかかわらず,両親が,娘である被控訴人が被害を受けた現実を受け止めることができず,被害に遭った被控訴人を逆に叱責するという態度を示したことを叙述することにより,被控訴人の悲しみ,失望,やるせなさ,被害者であるのに被害に遭った事実を隠さなければならないことに対する矛盾や怒り等を表現したものと認められる。
創作性について
同一性ある著述部分は,被控訴人が被害を受けた当事者としての視点から,前記①~④の各事実を選択し,事件後の被控訴人と両親とのやりとりを生々しく著述することによって,被控訴人の悲しみ,やるせなさ,怒り等を表現したものとみることができ,その全体として,被控訴人の個性ないし独自性が表れており,思想又は感情を創作的に表現したものと認められる。
細部表現の違いによる翻案不成立の主張に対して
控訴人は,本件著作物1と本件映画とでは,事件を告白した直後の被控訴人(主人公)と母親との関係についての被控訴人(主人公)による分析の視点の有無や,被控訴人(主人公)と両親とが対立するスピードと激しさの相違,フランツ・カフカの『変身』になぞらえた象徴的な描写の有無が異なり,その本質的特徴が異なるから,翻案に当たらないと主張する。
しかしながら,前記ア(オ)と同様の理由により,控訴人の主張するような表現部分の意味内容などは,表現(形式)上の本質的な特徴を構成する限度で考慮されるにすぎないというべきである。そして,本件映画のうち,別紙対比表4-1のエピソード7の本件映画欄の描写に接した者は,前記(イ)の表現上の共通性により,本件著作物1-7の同一性ある著述部分における表現上の本質的な特徴を直接感得することができることは,前記(エ)のとおりである。控訴人の主張は,理由がない。
台詞の著作権の侵害について
台詞の著作権については、基本的に「短い台詞単体には著作権はない」という判断がされています。
いずれもごく短いものであり,台詞そのものに表現上の創作性があるとはいえず,ありふれたものであって,各台詞はそれ自体で被控訴人の個性が表れているということはできない。
したがって,仮に,前記①ないし⑧の各台詞が類似又は同一と解されるとしても,上記台詞のみでは,思想又は感情を創作的に表現したものとはいえない。
ここでいう①~⑧の台詞というのは以下の通り。
① 別紙対比表4-1のエピソード4における本件著作物1の「なんて言って休めばいいの?」という台詞について,本件映画の「なんて言って休んだらいいの?」という台詞による複製権又は翻案権の侵害
② (a)別紙対比表4-1のエピソード6における本件著作物1の「また襲われてもいいの?」という台詞及び(b)別紙対比表4-2のエピソード6における本件著作物2の「また襲われてもいいの?」という台詞について,それぞれ本件映画の「健ちゃんはまた私が襲われてもいいの?」という台詞による複製権又は翻案権の侵害
③ 別紙対比表4-1のエピソード6における本件著作物1の「お前ホントは喜んでたんだろ。スリルがあって気持ちいいとか思ってたんだろ」という台詞について,本件映画の「おまえさあ,その二人組だっけ,犯されているとき,本当は興奮して濡れてたんだろ?また犯されたいって,今もそう思ってるんだろう?」という台詞による複製権又は翻案権の侵害
④ (a)別紙対比表4-1のエピソード6における本件著作物1の「お前みたいな汚れた女とつき合ってやったんだ。感謝しろ!」という台詞及び(b)別紙対比表4-2のエピソード6における本件著作物2の「お前みたいな女と付き合ってやってるんだよ」という台詞について,本件映画の「今までつきあってやっただけでも感謝してほしいね」という台詞による複製権又は翻案権の侵害
⑤ 別紙対比表4-1のエピソード6における本件著作物1の「頼むから,もう俺のことは忘れて,幸せになってくれ。」という台詞について,本件映画の「頼むから,おれのことは忘れて,幸せになって」という台詞による複製権又は翻案権の侵害
⑥ (a)別紙対比表4-1のエピソード7における本件著作物1の「なんでいまさらそんなこと言うのよ!?あんたの言うこと信じられない!!」という台詞及び(b)別紙対比表4-2のエピソード7における本件著作物2の「なんで今さらそんなこと言うの?あんたの言うこと,信じられない!」という台詞について,本件映画の「どうして今頃になってそんなことを打ち明けるの?お母さん,あなたの神経が信じられない!」という台詞による複製権又は翻案権の侵害
⑦ 別紙対比表4-1のエピソード7における本件著作物1の「お前は強い子だから,そんなこと(事件のこと)を気にするような子じゃないでしょ」という台詞について,本件映画の「お前は強い子だから,そんなことは気にせずに今までどおり生きていけるはずだ」という台詞による複製権又は翻案権の侵害
⑧ 別紙対比表4-1のエピソード7における本件著作物1の「あんたが襲われたのはあんたのせいではないけど,私たちのせいでもないんだから,そんなことで私たちを責めないでよね!」という台詞について,本件映画の「あなたが襲われたのは,私たちのせいだって言うの?そんなの筋違いだわ!」という台詞による複製権又は翻案権の侵害
この辺に関しては著作権に明るければある程度予測できるところではありますが、明確に知財高裁判決として出てくれたことには意味があると思います。
まとめ
というわけで、小説→映画の本案件侵害に関する判例紹介でした。
上記の通り、著作権法上の表現に関する議論は言語の限界により禅問答化してしまい、「これだ!」というシンプルな回答には達し得ないのが歯がゆいところですが、小説、映画、漫画といったシーンを描写する著作物の場合には、
(1)その作品を構成する要素を場面、シーン、エピソード等を一定範囲で把握し
(2)画定した範囲についての共通点を比較することにより同一性を把握し
(3)同一性が認定された部分が著作権法上の「表現」に該当するか、その「表現」が思想または感情を創作的に表現したものであるのか否かを、その範囲の内容、流れ、ストーリーとしての意味合い等に基づいて判断し
(4)以上の判断の中で「表現上の本質的な特徴」が直接感得できるか否か、法上の翻案に該当するか否かを判断していく
ということが示されています。
他方、「この台詞とこの台詞が一致している」みたいな細部の一致点のみを単独で指摘することには意味がなく、ある程度の尺で話の展開に共通点があることを指摘する必要があることが明らかになります。
繰り返しますが、この判断はかなり難しいもので、甘いところで同一性を認めてしまうと作品のコンセプト、テーマ等の概念やアイデアを保護する、すなわち「表現」を保護するという著作権保護の根底を揺るがす事態になってしまいますし、逆にその判断が厳しければ小説→映像のような表現形式の異なる作品間での翻案はほとんど認められないという結果になるでしょう。
この判例の判断についてより深い理解を得るためには作品の内容を理解する必要があるのですが、映画の方は上映禁止ということで観ることはできないでしょうし、小説の方も内容的に読むのが辛いのでちょっと厳しいですね。
というわけで、これ以上この判決について深く掘り下げるのは難しそうです。
レインボーのコントとオンナノソノの漫画動画に関しても、オンナノソノの動画が消えてしまっているので詳細な検証は難しそうですが、この判決からわかる範囲で言うとすれば、オンナノソノの動画がレインボーのコントの翻案権を侵害していると言うためには、
・コントの展開と漫画動画の展開で一定以上の尺で共通する範囲があること
・その共通する範囲が思想または感情を創作的に表現したものであること
→コントの面白さに(直接的、若しくは間接的に)寄与している範囲であること?
・コントにおける「表現上の本質的特徴」が漫画動画から直接的に感得可能であること
→コントの面白さを生み出している展開やコント内のギミックと同一のものが漫画動画内にも含まれていること?
といった条件が必要になるのではないかと思います。
これは、「面白さの理由が一緒であること」というような単純な話ではないことに注意しなければいけません。それでは、上記の通り概念やアイデアを保護することになりかねません。
そうではなく、面白さが生み出されるまでの話の展開が一定以上の尺で共通している必要があるということかと思います。
オンナノソノ側の動画が削除されてしまった今となってはどうだったのか確認することもできませんが、もし仮にタイトルが似通っているだけで上記のような要件が満たされず、翻案権の侵害が成立しないような状況だったとしたら、、、
最近知って絶対に解説を書こうと思った判例に、ECサイトで販売されている商品に対して商標権侵害を訴えて販売停止させたが、後から商標権侵害ではないと認定されて逆に賠償金を支払うことになった、というものがあります。
自分が以前から疑問、というか怒りをもっていたことの一つに、警察の冤罪は完全な社会悪として万人から唾棄されるのに、知的財産権の権利行使をして非侵害で終わることについてはなぜ許されているんだろう、ということがあります。
このECサイトの判決は、そんな怒りに一つの答えをくれるもので、絶対に詳しく読み込んで解説を書きたいと思っています。
もう年の瀬なので来年になるとは思いますけど。
ということで、皆さん良いお年を。