目次
0.初めに
1.事件および判決の概要
2.控訴審の認定、判断の内容
ざっくりと
原告(が権利を承継した)作品について
被告の行為について
本件テレビが本件小説の二次著作物であるか否かについて
アイデアに過ぎないのでは?
3.徹底批判
そもそも著作物なのか?
テレビ作品内の紋次郎のワンシーンの画像は原作小説の翻案物ではない!
類似性判断の誤り
モノのパブリシティ権は否定されている
マリカー事件と比べて
0.はじめに
どうせ最高裁でひっくり返るだろうから判決が確定するまで触らずにいようと思っていたんですが、この判決をこのまま受け入れなきゃいけないと考えている業界関係者が自分の周りに結構いることに気付きまして、居ても立ってもいられず筆を取った次第。
この判決が確定してしまったら、「絵なんて描いてたら著作権侵害になっちゃうよ」という狂った世界が爆誕することになるとすら言えてしまうのではないでしょうか。
とにかく、この判決は絶対にこのまま確定させちゃいけない判決だと思います。
1.事件および判決の概要
まずは事件の概要ですが、基本的な構造はシンプルなもので、とある会社(被告)が製造販売する「紋次郎いか」のパッケージに用いられている渡世人のイラストが著作権を侵害するものであるとして、小説「木枯し紋次郎」シリーズの作者(の相続人:原告)が訴えた事件です。


一審、東京地裁においては
・原告著作物である小説のどの部分をもって著作権侵害を主張しているのか不明
・商品等表示に該当するものではなく不正競争には該当しない
・原告らの主張は「紋次郎」というキャラクターに係る財産的価値の保護を求めるに帰し、立法論としては格別、上記において説示したとおり、著作権法及び不正競争防止法の趣旨目的を正解するものとはいえない
として退けられていました。
そらそうやろ、、、という内容で別に高裁判決が欲しいなんて微塵も思わなかったんですが、控訴されました。
まぁ、判断が変わるわけないやろ、と思っていたらびっくり仰天、なんと逆転判決、著作権侵害が二艇される結果となりました。
2.控訴審の認定、判断内容
<ざっくりと>
ざっくりと判断の流れを説明すると
・木枯し紋次郎のテレビ作品は原告が権利を承継した原作小説の二次的著作物である
・なので、原告はテレビ作品についてテレビ作品の著作者が有する権利と同様の権利を有する
・テレビ作品において紋次郎が映し出されたワンシーンの画像は、紋次郎いかのパッケージの紋次郎のイラストと類似する
・上記二次的著作物に関する原作者の権利により、原告は上記ワンシーンの画像についても権利を有する
・被告は自ら「紋次郎」の商品名が本件テレビ作品に由来することを告知しており、被告のイラストは本件テレビ作品のワンシーンに依拠したものである
・したがって著作権侵害が成立する
というものです。
細部について判断の穴をついて徹底批判していきたいと思いますが、まずは裁判所による認定、判断の要点を拾っていきます。
<原告(控訴人)(が権利を承継した)作品について>
・小説現代1971年3月号に「木枯し紋次郎」シリーズの第1話「赦免花は散った」を掲載
・主人公として描かれた「紋次郎」は、渡世人である男性であり、竹を削って両端をとがらせた楊枝をくわえていて、この楊枝は長さが約5寸、15センチメートル以上あるものであり、三度笠をかぶり、道中合羽を身に着け、長脇差を携えていて、俗称として「木枯し紋次郎」と呼ばれている者として描写されていた。
・昭和47年(1972年)1月から5月まで、本件小説を原作として制作されたテレビドラマ「木枯し紋次郎」 (本件テレビ作品)が放映された。
・主人公として登場する「紋次郎」は、三度笠をかぶり、道中合羽を身に着け、口に長い楊枝をくわえ、長脇差を携えた者として描かれていた

・本件テレビ作品は、亡Bの本件小説を原作として制作されたものであり(略)、本件小説を原著作物とする二次的著作物であるところ、原著作物の著作者である亡Bは、二次的著作物である本件テレビ作品の利用に関し、本件テレビ作品の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有し(著作権法28条)、本件テレビ作品については、亡Bの権利と、二次的著作物である本件テレビ作品の著作者の権利とが併存することとなった(略) 。そのため、亡Bは、二次的著作物である本件テレビ作品の原作の著作者として、二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利、すなわち、本件テレビ作品についての著作権(複製権又は翻案権、譲渡権、公衆送信権)を専有していたものであり(著作権法28条)、亡B死亡後は、亡Aが遺産分割によりこれを取得し、亡A死亡後は、控訴人X2、控訴人X3及び控訴人X4が遺産分割によりこれを取得したものである。
<被告(被控訴人)の行為について>
・被控訴人は、昭和47年(1972年)6月25日、本件被控訴人商品のうち「紋次郎いか」の販売を開始した。
・被控訴人は、被控訴人図柄について、昭和48年(1973年)3月1日に商標の登録出願をし、昭和52年(1977年)1月10日に商標登録を受けた。
・平成19年(2007年)に本件被控訴人商品のうち「げんこつ紋次郎」の販売を開始し、平成22年(2010年)に「とんがりいか」の販売を開始した。これらの商品の容器に貼られたラベルにも被控訴人図柄が付されていた。また、被控訴人は、令和3年(2021年)から、それ以前より販売していた「てっぽういか」の外袋に被控訴人図柄を付すようになった。
・被控訴人は、被控訴人のウェブサイト中のウェブページに、 「紋次郎いかの由来」として、昭和47年(1972年)当時テレビで流行っていた木枯し紋次郎がくわえていた長い楊枝(ようじ)を串に見立てたことによる旨記載しており、この事実によれば、「紋次郎いか」の名称が本件テレビ作品の主人公である紋次郎(木枯し紋次郎)に由来することが認められるとともに、被控訴人図柄が本件テレビ作品に依拠して作成されたものであると推認される。
<本件テレビが本件小説の二次著作物であるか否かについて>
・本件画像は、本件テレビ作品の第1話「川留めの水は濁った」の一場面の画像であり、本件テレビ作品において描かれた紋次郎が登場している(甲6の1) 。紋次郎は本件テレビ作品の主人公であり、本件画像に示されたのと同じ装いをし、その特徴をすべて兼ね備えた紋次郎の画像が、すべての本件テレビ作品に表現されている(甲6、弁論の全趣旨)。このように、本件画像は、本件テレビ作品の紋次郎の画像を具体的に示すものであるから、本件画像を被控訴人図柄と対比することにより、本件テレビ作品の紋次郎の画像と被控訴人図柄の対比が明らかにされるものと認められる。そして、本件テレビ作品が本件小説の二次的著作物であることからすれば、このような本件テレビ作品の紋次郎の画像は、本件小説の二次的著作物であると認められる。
後ほど具体的に指摘しますが、ここ重要です。
テレビ作品が小説の二次的著作物であるというところまではいいんですが、その先、「本件テレビ作品の紋次郎の画像は、本件小説の二次的著作物であると認められる」という部分については何ら裏付けがされておらず、飛躍していると思います。
<紋次郎いかのイラストがテレビ作品の紋次郎の画像の権利を侵害するか否か>
・本件画像の紋次郎は、①通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも大きな三度笠をかぶり、②通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも長く、模様が縦縞模様である道中合羽を身に着け、③細長い楊枝をくわえ、④長脇差を携えているという特徴をすべて兼ね備える者として表現されている。
ところで、本件テレビ作品の放映前には、上記①ないし④の表現上の特徴の全てを兼ね備える人物が登場するドラマ、映画等が存在していたとは認められない(なお、上記①ないし④の特徴の全てを兼ね備える人物が登場する小説が、本件小説が書かれる前に存在したとも認められない。) 。そのため、上記①ないし④の表現上の特徴をすべて兼ね備えるという点は、本件画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる。
・被控訴人図柄から、本件画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる、前記①ないし④の表現上の特徴をすべて感得し得るものと認められる。そして、前記(ア)のとおり、本件画像は、本件テレビ作品の紋次郎の画像を具体的に示すものであり、本件画像を被控訴人図柄と対比することにより、本件テレビ作品の紋次郎の画像と被控訴人図柄の対比が明らかにされるから、被控訴人図柄から、本件テレビ作品の紋次郎の画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる、前記①ないし④の表現上の特徴をすべて感得し得るものと認められる。
ここも違和感バリバリです。
従来の著作権訴訟においては、「アイデアが共通するに過ぎない」としてバッサリいかれていたはずです。
<アイデアに過ぎないのでは?という指摘に対して>
・しかし、三度笠をかぶり、道中合羽を身に着け、長脇差を携えた江戸時代の渡世人の姿が過去に存在したとしても、本件画像の紋次郎は、上記①について、通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも三度笠が大きい、上記②について、道中合羽が、通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも長いという特徴も有しており、これらの特徴が江戸時代の渡世人のごく一般的な表現であるとか、極めてありふれた渡世人の姿であると認めるに足りる証拠はない。
しかも、本件テレビ作品の紋次郎の画像は、上記①ないし④の表現上の特徴を全て兼ね備える人物として描かれており、この点において、それ以前の一般的な渡世人の姿との違いが認められるのであって、上記①、②及び④に係る特徴のみを取り出して、本件テレビ作品の紋次郎の画像に創作性がないと解することは相当でない。前記⑷イ(イ)のとおり、本件テレビ作品の放映前には、上記①ないし④の表現上の特徴を全て兼ね備える人物が登場するドラマ、映画等が存在していたとは認められない(なお、そのような特徴の全てを兼ね備える人物が登場する小説が、本件小説が書かれる前に存在したとも認められない。)ことから、上記①ないし④の表現上の特徴をすべて兼ね備えるという点は、本件画像に具体的に示されている本件テレビ作品の紋次郎の画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる。
また、本件テレビ作品の紋次郎の画像は、俳優が衣装を身に着けて演じることによって、上記①ないし④の表現上の特徴を全て有する人物として具体的に描写されているのであって、上記③の特徴がアイデアにすぎないということはない。さらに、本件テレビ作品の紋次郎の画像は、上記①、②及び④の共通点に係る特徴を有する渡世人が、長い楊枝をくわえている姿として具体的に描かれており、その具体的に描写された姿が全体として創作性を有すると認められるのであるから、くわえている楊枝の長さが江
戸時代の楊枝として通常の長さであるとしても、そのことをもって、本件画像に具体的に示されている本件テレビ作品の紋次郎の画像がありふれた表現であるとか、創作性を有しないということにはならない。
<細部デザインが異なるのでは?という指摘に対して>
・被控訴人図柄において、三度笠が本件画像の紋次郎がかぶっている三度笠より更に大きく、道中合羽が本件画像の紋次郎が身に着けている道中合羽より更に長い点は、本件画像の紋次郎の特徴を、被控訴人図柄において強調して表現したものといえ、本件画像の記⑷イ(イ)の①、②の特徴を直接感得することを妨げるものではない。被控訴人図柄と本件画像とで、長脇差の長さに違いがあるとしても、それは、長脇差を携えているという同④の特徴を共通にするものであって、これを直接感得することを妨げるものとは認められない。
3.徹底批判
では、この知財高裁判決についておかしいと思う部分を徹底批判していきます。
<そもそも著作物なのか?>
著作権侵害の否定については、
・類似性
・依拠性
が争点となることが多く、本件でも当然それは争点になっているのですが、それ以前の問題、そもそも著作物なのか?という問題があまりにもアッサリ流され過ぎている気がします。
一審では、木枯し紋次郎の原作小説の作者(の承継人)だということでふわっとした権利行使が行われたため、紋次郎いかのパッケージイラストについて権利侵害の根拠となる著作物が特定されていないとして退けられています。
これに対して控訴審では、原作小説の二次的著作物であるテレビ作品についても元著作物の著作者(の承継人)として権利を有するという理屈で主張が展開され、それが認められて権利侵害の認定に繋がりました。
そして、知財高裁判決において直接的に著作権侵害の理由となったのは、原作小説でも、それを映像化したテレビ作品でもなく、テレビ作品のワンシーンを切り出した一枚の画像、紋次郎が写っているシーンの静止画です。
この一枚の静止画、果たして「著作物」と言えるのでしょうか?
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
「著作物」の定義はご存知の通り、「思想又は感情を創作的に表現した」ことが前提です。
テレビ作品全体としては、原作小説に基づいて映像作家が「思想又は感情を創作的に表現した」ものであることは間違いないでしょう。
他方、その映像のワンシーンを切り出した静止画について、果たして「思想又は感情を創作的に表現した」と言えるのでしょうか。
例えばアニメ作品であれば、アニメ作品全体の映像が監督の「思想又は感情を創作的に表現した」ものであるのに対し、ワンシーンを切り出した静止画に焦点を当てた場合、それはコンテ作家およびそのカットを担当したアニメーター、作画監督の「思想又は感情を創作的に表現した」ものです。映像全体とワンシーンの静止画とでは、「思想又は感情を創作的に表現した」主体が異なるわけです。
実写作品の場合にはどうでしょうか。
シーンによっては、静止画としてみた場合であっても映像作家によって緻密に画面として作り込まれ、細部にわたって「思想又は感情を創作的に表現した」と言える場合もあるでしょうが、シーンにおける映像の流れの中で特に「思想又は感情を創作的に表現した」わけではなく偶然に出来上がった場合もあるのではないでしょうか。
そういった点が議論されず、映像の中から切り出されたワンシーンの静止画が当然に著作物であると認定されている点には非常に違和感を感じます。
<テレビ作品内の紋次郎のワンシーンの画像は原作小説の翻案物ではない!>
映像から切り出されたワンシーンの静止画が著作物である点には疑問があるところですが、仮に著作物だったとして、次に疑問となるのは、そのワンシーンの静止画は果たして原作小説の二次的著作物なのか?という点です。
個人的には、紋次郎のワンシーンの静止画が原作小説の二次的著作物、翻案物であるという点には納得できません。
自分が本判決で最も問題があると感じる判断です。
まず、この前提となる条文を見ておきます。
(二次的著作物の利用に関する原著作者の権利)
第二十八条 二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する。
小説が映像化される場合など、ある作品Aに基づいて派生作品Bが創作された場合、派生作品Bに関しての著作権は作品Aの作者にも与えられる、という条文です。
その大前提は当然ながら、派生作品Bが作品Aの二次的著作物である、すなわち翻案物であるということです。
今回、この派生作品Bの位置にあるのは、映像作品としてのテレビ作品、ではありません。紋次郎いかのパッケージイラストとの間で類似性の判断対象となったのはテレビ作品の中のワンシーンを切り出した紋次郎が写っている一枚の静止画です。
すなわち、本件の大前提となっているのは、そのワンシーンの画像が原作小説の二次的著作物、翻案物であるという判断です。
著作物の翻案が認められる要件として知られているのは、「著作物としての本質的特徴を直接感得できるか否か」です。
テレビ作品が原作小説のストーリーに従って映像化されている限りにおいて、テレビ作品が全体として原作小説の翻案物、二次的著作物であるという判断に関して基本的に間違いはないでしょう。(ただし、文字の著作物である小説と映像の著作物であるテレビ作品とで本質的特徴が共通するのかという議論はできる)
他方、今回著作権侵害の直接的な要因とされたテレビ作品内のワンシーンを切り出して原作小説と比較した時に、「本質的特徴が直接感得できる」と言えるのでしょうか。
その点について判決文で触れられているのは
本件テレビ作品が本件小説の二次的著作物であることからすれば、このような本件テレビ作品の紋次郎の画像は、本件小説の二次的著作物であると認められる。
というだけ。つまり、テレビ作品が小説の二次的著作物なのだから、その中のワンシーンの画像も小説の二次的著作物なんだ、という非常に雑な議論です。
いやいやいやいや!
まず、映像作品が著作物だったとして、そこから切り出されたワンシーンの画像も当然に著作物なんだというのが議論として非常に雑です。
映像作品の著作物性と一枚絵の画像の著作物性とは確実に違うはずです。
映像作品というのは視覚的なものであると同時に物語でもあるわけですから、その著作物性の中に原作小説の著作物性に関する創作的価値が含まれるのは必然です。共通する物語を文字で表現したものから映像での表現に「翻案」するわけですから。
しかしながら、ワンシーンを切り出した一枚の画像となると話は別です。
この際、その一枚の画像が著作物か否かという議論は置いておくとしまょう。著作物だったとして、それが著作物たる理由はあくまでも画像、視覚的なものになるはずです。
仮に、判決文にて触れられている
①通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも大きな三度笠をかぶり、
②通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも長く、模様が縦縞模様である道中合羽を身に着け、
③細長い楊枝をくわえ、
④長脇差を携えている
という文章が全て原作小説内に文字として描かれているとしても、これらはあくまでもアイデア、デザインコンセプトに過ぎません。
そのアイデア、デザインコンセオプトを前提としてどのようなシーン、画像として仕上げるかが著作権法の保護対象のはずです。
にも関わらず、このワンシーンを切り出した画像が原作小説の二次的著作物であると雑に認められているのは明らかにおかしいでしょう。
そして、この部分の主張、すなわち映像から切り出された紋次郎のワンシーンの画像が小説の二次的著作物であるという主張が崩れれば、高裁判決の結論の根底が覆ることになるわけです。
本当にこのままでいいのでしょうか。
いや、いいわけがない!
法律的な議論でなければ意味がないのでクドクドと説明してますが、もっと簡単な言葉で説明するならば、
小説を描くことによって権利が生じたとして、その権利は文章の創作に対して与えられたものだよね?その小説を映像化することによって生み出された映像全体は物語だから文章の創作によって得られた権利の二次的著作物として原著作者(小説の作者)に権利が認めらるのはわかるけど、映像内の一部の画像はもはや物語ではない、視覚的な特徴のみの作品なはずなのに、それについて文章を創作しただけの原作小説の権利者が権利を主張できるのって、おかしくない?
というハナシです。
<類似性判断の誤り>
一番言いたいことは上記の通りなのですが、「絵を描く人のために」という観点ではむしろこちらの方が重要、最終的な類似性の判断です。
改めて、類似関係が認定された画像を並べてみます。


どうでしょう。
コンセプトが共通していることについては異論ありません。
が、著作物として類似すると言えるのでしょうか。
判決文では、
本件テレビ作品の放映前には、上記①ないし④の表現上の特徴の全てを兼ね備える人物が登場するドラマ、映画等が存在していたとは認められない(なお、上記①ないし④の特徴の全てを兼ね備える人物が登場する小説が、本件小説が書かれる前に存在したとも認められない。) 。そのため、上記①ないし④の表現上の特徴をすべて兼ね備えるという点は、本件画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる
と判断されています。
これはつまり、木枯し紋次郎の著作権が生きている限り、
①通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも大きな三度笠をかぶり、
②通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも長く、模様が縦縞模様である道中合羽を身に着け、
③細長い楊枝をくわえ、
④長脇差を携えている
という特徴を持ったキャラクターの絵を描いたら著作権侵害が成立するということを意味します。
え、著作権ってそんな強力な権利でしたっけ?
いや、そんなことはありません。
全く同一の事件は存在しないので確実に言えることではありませんが、この程度の共通性は「アイデアが共通するに過ぎない」として類似性が否定されてきたのが著作権に関する類似性の判断のはずです。
このレベルで類似性が認められてしまうと、アイデア、コンセプトが共通する絵を後発で描くことは不可能になってしまいます。
その懸念に関する判決文上の説明としては、「本件テレビ作品の放映前には、上記①ないし④の表現上の特徴の全てを兼ね備える人物が登場するドラマ、映画等が存在していたとは認められない」という部分なのでしょうが、そうだとしても新規なアイデア、コンセプトを最初に考えた人が、アイデア、コンセプトレベルでそれを独占できてしまうというのは著作権法の理念としてやはりおかしいでしょう。
そもそも、上記①〜④が「表現上の特徴」とされている点にも違和感バリバリです。
上記の通り、紋次郎が写った一枚の画像が小説の二次的著作物だという点が崩れれば結論は覆るわけですが、それだけでは不十分で、この類似性判断の部分、実質的にアイデア、コンセプトが著作権によって保護されてしまっているという部分も、すべての「絵を描く人」のためにしっかり覆してほしいところです。
<モノのパブリシティ権は否定されている>
さて、本判決の結論に対する批判を展開してきたわけですが、本件の原告に全く同情できる部分がないかと言えばそうでもありません。
被告が製造販売する紋次郎いかが「木枯し紋次郎」という作品に乗っかり、その人気や知名度を多少なりとも利用している事に関しては疑いようがありません。
それに関して、原告側が憤りを覚えるということはあるのでしょう(著作者本人ではなく承継者という点がモヤっとポイントではありますが…)
が、それはまさにモノのパブリシティ権の話であり、最高裁判例において明確に否定されていることです。
そして、映像作品内のワンシーンを切り出してパッケージイラストと比較して著作権侵害を問うというのも、これまでモノのパブリシティ権が認められない中でコンテンツホルダー側による権利行使の検討として幾度となく試みられてきたことです。
本件はまさにモノのパブリシティ権の話であって、著作権の話ではないはずです。
本件の結論が最高裁でも変わらず原告の主張が認められるものだったとしても、その理由は高裁判決のようなテレビ作品のワンシーンを切り出した画像との類似などではなく、コンテンツ知財に関する判断の歴史的大転換点として、
モノのパブリシティ権を認める
というものであるべきなのではないかと思います。
<マリカー事件と比べて>
モノのパブリシティ権に割と近いところで権利侵害が認められた裁判例としては、マリカー事件における不正競争の商品等表示が思い浮かびます。
しかしながら、マリカー事件におけるマリオをはじめとしたキャラの商品等表示の前提にあるのは、
・任天堂という世界有数のゲーム会社が
・ゲームの看板として長年にわたってキャラクターを育て続けて
・その結果としてキャラクターたちが世界的な知名度を獲得するに至った
という疑いようのない事実です。
少なくとも、木枯し紋次郎に同レベルの価値があるとは言えないでしょう。
本判決では不正競争防止法における商品等表示はきっちりと否定されているので、その点において判断は間違ってはいないのですが、結論に疑問が残るのは上記の通りです。
最高裁ラウンドは既に始まっている模様。
果たして、どうなるのか!?




