不定期どころか、ほぼ放置状態のブログでございます。
繁忙具合が危機的状況だったのですが、それをちょっとだけ脱したので努力して書いていきたいと思います。
というわけで、序章だけ書いていた シリーズ【コンバース戦記】
諸々の経緯を経て、我が国ではコンバースが偽物しか買えなくなってしまいました。
その経緯の第壱章として、まずは私が「コンバース戦記」と呼ぶ戦争が勃発するまでの歴史について語りたいと思います。
先に登場人物(国、ってか会社)について整理
コンバース王国
伝統のスニーカーを作り続け、多くの支持を得るものの盛者必衰の理により破綻。その心は新・コンバース王国によって受け継がれていく。
新・コンバース王国
コンバース王国の破綻によって誕生した、コンバース王国の伝統を受け継ぐ正当な後継者。ナイキ帝国、伊藤忠公国等の動きによって翻弄されていく。
ナイキ帝国
新・コンバース王国を属国化する超大国。
伊藤忠公国
コンバース王国の破綻から新・コンバース王国の設立にかけて暗躍し、コンバース戦記の引き金を引く。
ロイヤル共和国
極東の小国。コンバース王国の伝統の靴をはじめ、各国に存在する「本物」を人々に届けるという理念を掲げる。その理念を疎んじた伊藤忠公国により外交圧力をかけられた上、宣戦布告される。
では始まり始まり
「コンバース」というブランド、
★のマークのスニーカーと言えば多くの人が思い浮かべることが出来るのではないでしょうか。
人によっては「ジャック・パーセル」の方がなじみがあるかもしれません。
その創業は1908年にまで遡るそうです。
マーキス・M・コンバースさんという人が創業者です。
当初は、湿地帯等が多い地元での需要が見込まれるラバーシューズを開発して販売し、それなりの成功を収めていたようです。
しかしそれだと季節によって売り上げが低迷するため、年間通して売上が見込める商品の開発に着手。
そうして1917年に完成したのがバスケットシューズの「ALL★STAR」です。
ネットで当時の画像を確認できますが、驚くことに現在売られているALL★STARとフォルムがまったく変わりません。1917年当時に現在でも通用する靴を完成させていたんですね。
続いて1935年には私も高校時代に履いていた「JACK PURCELL」が発売されます。
高校時代普通に履いていた靴が、そんなにも歴史のあるブランドだとは思いもしませんでした。
こんな感じで、コンバースはリーズナブルで高品質、オシャレなスニーカーブランドとして世界的に受け入れられていきます。
コンバース王国は1900年代末期まで隆盛を続けます。
この隆盛のさなか、コンバース王国に忍び寄る影がありました。
伊藤忠公国です。
伊藤忠公国は日本におけるコンバース王国のライセンスを獲得し、靴以外の商品展開を行っていました。その後、伊藤忠公国が靴以外の商標権を譲り受けます。
しかしながら、そんな隆盛は永遠ではありませんでした。
2001年、コンバース王国は経営破綻してしまいます。盛者必衰の理です。
経営再建のため、新・コンバース王国が設立されます。
この時、待ってましたと言わんばかりに、伊藤忠公国が経営再建の協力者として名乗りを上げます。
伊藤忠公国は新・コンバース王国の株式を取得する形で、新・コンバース王国に資本参加、つまり、新・コンバース王国を助けるふりして陰で操る存在となるわけです。
その具体的な方策として、伊藤忠公国は日本における「コンバース」ブランドについて商標権契約をすると共に「共同マーケティング契約」を行います。
この「共同マーケティング契約」って何なんでしょうか。正直よくわかりません。
その後、経営再建の進行により旧コンバース王国の靴に関する商標権が新・コンバース王国に譲渡されると、伊藤忠公国はその商標権をスルッと取得します。
これにより、我が国における「コンバース」商標権は伊藤忠公国のものとなってしまいました。
そして伊藤忠公国は当然の如く日本における「コンバース」ブランドのスニーカーの製造、販売を開始します。
「共同マーケティング契約」のもと、従来の「ALL★STAR」等のフォルムを継承した「コンバースの靴」が伊藤忠公国によって製造、販売されます。
実際には伊藤忠公国の更に属国(グループ会社)が製造、販売していたようですが、それは些細なことです。
そして2003年、新・コンバース王国はナイキ帝国に買収され属国となります。
その結果、
本土米国における「コンバース」ブランドの商標権者はナイキ帝国
日本における「コンバース」ブランドの商標権者は伊藤忠公国
ということになりました。
この時にナイキ帝国と伊藤忠公国との間でどのような密約が交わされたのかは謎のままです。
これに対して黙っていられないのは、日本において、「本物」のコンバース王国の靴を愛する人々や、そんな人々の想いを汲むロイヤル共和国です。
ロイヤル共和国の挨拶には以下のような文章があります。
ロイヤルは、1973年(昭和48年)に株式会社ロイヤルサービスとして海外の著名なスポーツ&カジュアルブランドの商品を、独自のルートを通じて”本物(純正)”の商品にこだわって市場に提供する直輸入販売(いわゆる並行輸入業)の草分け的存在として事業をスタートさせました。
なるほど。日本で勝手に作られるマガイモノではなく、本国で伝統的に受け入れられてきた「本物」を人々に届けたいということですね。
このような信念のもと、ロイヤル共和国は伊藤忠公国によって製造される「日本版」コンバースの靴には目もくれず、新・コンバース王国が製造、販売する「本物」にこだわって輸入販売を続けます。
これに対して、序章で説明したように、商標権の効力として、
指定商品と同一、類似の商品の輸入販売を禁止できる
というものがあります。
日本における靴についての「コンバース」の商標権は伊藤忠公国のものですから、単純に考えれば、伊藤忠公国はロイヤル共和国の輸入販売を禁止できることになります。
他方、、、
同じく序章で説明したように、「本物」を輸入販売する行為は、原則として「真正品の並行輸入」として許されます。
しかしながら!
序章で説明したように、「真正品の並行輸入」が認められる要件の1つとして、
「輸入先の商標権者と、日本国内の商標権者とが同一であるか、若しくは法律的、経済的に同一であるとみなせる関係にあること」
というものがあります。
新・コンバース王国(若しくはナイキ帝国)と伊藤忠公国との間にある関係は、「共同マーケティング契約」のみです。これが、上述の要件に該当するのか、それが不明でした。
が、伊藤忠公国は自国の利権を主張、2003年より、外交圧力によってロイヤル共和国に新・コンバース王国によって製造された「本物」のコンバースのシューズの輸入の停止を要求します。
当然ロイヤル共和国はこれを拒否
かくして、
2007年、伊藤忠公国はロイヤル共和国に対して
宣戦を布告
ここに、コンバース戦争の火蓋が切って落とされたのです。
というわけで次回、
【コンバース戦記】#2-第弐章-開戦、東京地裁の陣
をなるべく早く(努力して)書きます。