先日、こんなツイートを目にしました。
本当に社会で生きる力を中高生へ身につけさせたいならば、学校で週に1時間でも「確定申告」「源泉徴収」「年末調整」「控除」「扶養」などといった実用的な事項を学べる授業があるべきだと思います。現状では社会へ出た瞬間にこれらの制度が突然登場するので、場合によっては大混乱せざるをえません。
— Childish Teacher (@TeacherChildish) February 19, 2018
「なるほどなぁ」と思った反面、なんか違和感を感じて考えてみたら自分の考えはこうだと思ったので投稿した引用ツイートがこちら。
こう言う話、もっともに聞こえるけど学生時分に身につけるべきはそんな枝葉末節じゃなくてもっと根本的な人間力なんじゃないのかね。
必要になった時に自分で調べて対応できれば良いわけで。
初めて青色申告した時、右も左もわかんなかったけど税務署の人に聞いたり本読んだりしてなんとかやったよ。 https://t.co/SCe600LYls— 前渋“CIV”正治@ヲタク弁理士 (@shibuaznable) February 23, 2018
どうでしょう。
別に「どっちが正しい」という事はなく考え方や教育方針の違いだと思いますが、中高生には夢を持って大人になって欲しいものです。
で、中学生の頃の恩師の印象がこの話に繋がったので少々。
中学の先生として特に印象に残っている先生が二人います。
一人は、自分が中学生活3年間を捧げたサッカー部の顧問の先生。
もう一人が中学一年の頃の担任の先生です。
この中一の担任の先生、川島先生という社会の先生です。
この先生の決め台詞が、
「亜人間ですねぇ」
だったんです。
入学して担任として登場したド頭の発言が「君たちは、亜人間です」といった具合です。
当時の自分に機知があれば、「早く人間になりたぁ~い」と返して妖怪人間でも歌い出したいところです。
まぁつまり中学生なんてまだまだ人間として確立したものがなく未熟だという趣旨の話ですね。
現在の毒親クレーム社会では危うい発言になってしまうんでしょうか。
私はこの先生のオハナシが大好きでした。
この先生の言葉を借りるならば、中高生の教育というのは「亜人間」を「真人間」にするための教育ということになるんでしょう。
では、「真人間」の条件ってなんなんでしょうか。
正直なところ、世の中の大半の人間は私から言わせれば「亜人間」だとしか思えませんが、、、
「法律や行政等といった社会の仕組みを理解している事」も大事だとは思いますが、川島先生の言う「亜人間」が「真人間」として認められるための条件はきっと違うんでしょうね。
まぁそれはそれ。
卒業後も年賀状等で連絡を取り続けていて、弁理士試験の受験生時代には勉強の進み具合や試験の結果等を書いて送ったものです。
“川島先生から言わせれば自分はまだ「亜人間」だろうか?”
なんて事を考えながら、弁理士試験の合格報告をする際には「これでもう亜人間卒業でしょうか?」と冗談交じりに聞くのが受験生時代の楽しみの一つだった覚えがあります。
別に国家資格持ってるからって「亜人間」じゃなくて「真人間」だなんて事を川島先生は言わないことはわかってますがw
アイツは「亜人間」だなって思う弁理(ry
そしていよいよ受験生生活もクライマックス。
二次試験の論文に通り、(当時は)落ちない事が通常の口述試験を残すのみ。
が、「口述でも落ちる」という事が都市伝説的に広がり始めた微妙な時期でした。
私は完全に舐め切っていて、論文合格から口述試験までの間に1週間イタリアに旅行に行くなんて事をしてましたが、、、
それで神様に睨まれたのか(いや単に勉強不足だろ)、一年目の口述に落ちてしまったんですね。。。orz
あぁ~合格報告は一年お預けかぁ。
とは言え論文合格は大きな事ですから、年賀状には当然その報告を。
が、どうした事か先生からの年賀状が届きません。
そんな1月の終わり頃、奥様からのお返事として訃報が届くわけです。
年明け前の12月に亡くなっていたとの事でした。
口述試験を舐めていた代償として合格を一年先送りされるだけでなく、先生に報告が出来なくなるという、こんなにも大きな代償を払わされるとは。
まぁ、仮に最終合格していたとしても12月に亡くなっているので年賀状で報告していたら遅かったわけですが。
最終合格していれば喜び勇んですぐにでもお便りしてたかもしれません。
結局、報告は墓前にしました。
なんて事を思い出して書いていたら目頭に熱いものがこみ上げてきます。。。
弁理士にもなったし、青色申告も自分でできるし、もう「亜人間」じゃなくなった、
なんて自信が持てるかというと全くそんなことはないですね。
川島先生の言う「亜人間」から卒業できているのかどうか、ずっと考え続けながら生きていくことこそが「亜人間」を卒業する条件なのかなと思う今日この頃。
「考える」事を封じ、人々を「思考停止」に追い込むような見えない圧力を感じる世の中で「思考」しながら生きていくことは本当に辛いと思います。
「君たちは亜人間です」
という言葉によって川島先生が生徒に授けたのは、紛れもなく「思考」する事なんでしょう。
有難き師の教え。
逆に、件のツイートにあるような「確定申告」「源泉徴収」「年末調整」「控除」「扶養」といった社会制度の枝葉末節を中高生のうちから教える事は、人間の「考える力」を奪って思考停止に追い込むような事になってしまうのではないかと。
「これさえ知ってればいい」「これさえやっとけばいい」という論調は人間を簡単に思考停止に追い込む気がします。特定企業の社員とかね。
件のツイートは色々な事も教えた上で、更にそういった社会制度も教えた方がいい、という趣旨だと思うので、「これさえ知ってればいい」「これさえやっとけばいい」という趣旨ではないと思いますが。
学生の側がどう受け取るかを考えると、やっぱり教えない方がいいんじゃないかな。
とはいえ、こんな「亜人間」にお仕事の依頼をくださっているクライアントの皆様、本当に有難うございます。