古代史探訪記(大阪府茨木~高槻エリア)その2

前回(だいぶ前)にその1を書いた続きです。

4.史跡新池ハニワ工場公園

非常に興奮を覚えた今城塚古墳を後にし、新池ハニワ工場公園へ向かいます。
事前情報で駐車場の情報が得られなかったので、一番近い位置にある大きいドラッグストアの駐車場の混雑状況を見て車を停め、猛暑の中なので頻繁に必要な水分補給のためにペットボトルを何本か買い、「買い物したからちょっとだけ許して!」ということでそのまま公園へ歩きます。

新池ハニワ工場公園は5~6世紀のハニワ工房と窯跡群です。
かなり広大な敷地に多くのハニワ窯が発掘されていて、ハニワ造りが当時の社会でどれほど重要なものだったのかを感じることができます。

ハニワと言えば土師氏の物語。

古事記巻之三
蚤の王
野見宿禰
安彦良和 著

土師氏の拠点は古市古墳群の辺りということなので、新池ハニワ工場公園が土師氏に関係する工房だったのかはわかりませんが、古代における職人の空気を存分に感じることができる良い場所でした。

参考 古市古墳群のハニワ窯跡

5.阿武山古墳

ついに今回のメインイベント阿武山古墳です。

(葦)「鎌足の墓」の写真集 今井邦彦

阿武山古墳は発掘された品から「藤原鎌足の墓では!?」と言われている、非常にロマンのある古墳です。

古代史ファンとして様々な知識を貪ってきた中で、父方は出雲・母方は吉備地域の血を引く自分としては、完全なる「敵」である藤原氏。
その祖の墓という事で些か恐怖や緊張がありますが、気を強く持って参拝してきました。

阿武山古墳は京都大学の阿武山地震観測所の裏山の辺りにあります。
事前情報として調べた中では個人的に行っている方が大勢いたのですが、本当に入っていいのかは不明でした。
今城塚の係員の方に聞いたらどうやら大丈夫そうでしたので車を停める位置なども確認してから行きました。

車を停める位置から古墳までは結構歩きます。少なくとも10分くらい。
その道中は決して楽なものではなく、山なので基本は登り。
そして、写真のように草の生い茂った山道も続きます。

古代史跡を訪れると毎回のように感じる事。
それは、

こんな山中なのに歩きやすい。虫もたかってこない。これが聖地か。。。

という事なのですが、はっきり言って今回は辛かったです。
歴史的に「敵」の家系の祖。
どうやら歓迎されていない様子。

それでもなんとかたどり着きました。

不思議と、古墳が近くなると虫がたかってくる様子もなくなりました。
やはり古代史跡は不思議です。

時代は7世紀。前方後円墳が作られなくなる時代です。
古墳と呼ぶにはあまりにも簡素なものでした。

天智天皇の腹心として時代を作り、その子孫に

この世をばわが世とぞ思ふ…

とまで言わせた男は、古墳時代の終焉をどのような思いで過ごしたのでしょうか。

車を停めた位置と古墳との間の道中には見晴台があります。

「枚方市方面」とありますが、左端方面(北東方面)は、天智天皇陵のある京都市山科区です。

6.新屋坐天照御魂神社

今回の古代史探訪、最後のポイントです。
本当はあと二つほど周りたいところがあったんですが、時間の関係でここで終わりになってしまいました。

由緒書はこの通りの神社ですが、やはり注目は「天照」の字。

基本的には皇祖神 天照大神が思い浮かぶ字ですが、ある研究では神武天皇よりも先に大和に君臨していたニギハヤヒこそが「天照」の字を冠していたとあり、その字を関する神社という事で興味が高まります。

その由緒書を見ると、「伊香色雄命」とある。
伊香色雄命といえば物部氏の祖
そして物部氏と言えば宇摩志麻遅命→ニギハヤヒ
はい繋がった!

と、短絡的ではありますが、こういった繋がりを見つけていくことが古代史探訪の楽しみの一つです。

夕暮れだったこともあり、神社はとても静かで荘厳な雰囲気。

この地にて、ニギハヤヒからつながる伊香色雄命はどのような思いで祭祀を行ったのでしょう。
祭神 天照御魂大神とは、はたしてニギハヤヒのことなのでしょうか。

三嶋湟咋が治めたとされるこの地域。
その娘は大物主に嫁ぎ、その娘が神武天皇の后となった。
神武天皇がヤマトの入り婿だったら?
その相手はそれ以前からヤマトに君臨したニギハヤヒの娘では?

と、多分に安彦さんの古事記シリーズ前提の興奮ですが十分楽しめるポイントでした。

こんな感じで茨木市~高槻市エリアの古代史探訪は終わります。
古代はニギハヤヒ~伊香色雄命、三嶋湟咋
少し下って継体天皇
古墳時代、つまり古代史の終焉として藤原鎌足
と、幅広い時代で楽しめるエリアでした。

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