米国最高裁判決、グーグルvオラクル Java訴訟 ~その6.市場への影響&結論~

~その1.結論とシラバス~
~その2.技術的事項の説明~
~その3.著作物の性質~
~その4.使用の目的と性質~
~その5.使用された部分の量と実質性~
の続きです。

フェアユースの判断要素、
(1)使用の目的と性質
(2)著作物の性質
(3)著作物全体に関連して使用される部分の量と実質性
(4)著作物の潜在的な市場または価値に対する使用の影響
についての判決文での説明の最後、(4)著作物の潜在的な市場または価値に対する使用の影響(“the effect of the use upon the potential market for or value of the copyrighted work.”)、についてです。判決文のPDFでは34ページ。

このパートがもっとも難解で、その分だけ本質的であると感じました。
さすが、米国フェアユースの4要件の大トリです。

特に!知財に関する様々な事件に対して感じること、「それは形式的に知財の問題として事件化されているけど、本来的には知財の問題じゃないよね?」という論点の難しさが論じられていると思います。

まず、考え方の前提となる内容が語られます。

・コンピュータプログラムが対象である場合の市場への影響の検討は複雑化すること。
・コピーによる「影響」の検討においては、権利者が失う可能性のある金銭が考慮される場合があること。

→まず大前提が語られます。

・「商業目的でオリジナル全体を忠実にコピーする」ことは、著者の作品の市場代替品となる可能性があること。

→※これは完全コピーの場合の例示だと思われます。

・著作物である書籍を映画化することも、同様に著作権所有者にとって潜在的な損失、または損失の推定を意味すること。

→※これは翻案の場合の例示だと思われます。

・これらの損失は、創作的表現を奨励するための排他的権利を著者に提供するという著作権法の法目的に反する。

→※つまり、完全コピーも、書籍の映画化のような翻案も、どちらも著作権法の法目的に照らせば許されないと言っています。

・しかし、収益の潜在的な損失はすべてではなく、損失金額に加えて損失の原因も考慮される必要があること。
・「痛烈な劇場レビューのような多大な損害をもたらす可能性のあるパロディ」(“lethal parody, like a scathing theatre review,”)は、原作の需要を殺す可能性がありますが、この場合にその損害額を計算できたとしても、それは著作権法の問題ではありません。

ここ重要です!(自分的にそう思います。)

ある映画を痛烈に批判するようなパロディが作られた結果としてその映画の収益にダメージがあったとしても、それは批判によるダメージなのであって著作権法で保護されるような「複製による代替物の作成」という意味でのダメージではない、ということを言っています。
(※これは必ずしも「保護されない」ということを言っているわけではなく、名誉棄損や侮辱といった理由、つまり著作権法以外の法域でなら保護され得るという意図が言外にあると感じます。この観点で考えると「同一性保持権とか無くせばよくね?」とか思いますけど話が脱線しすぎるので別の機会にします。)

この一文は安易に「著作権」という言葉を口にする人々に対して何万回でも聞かせたい文章です。

身に覚えないですか?
ある著作物に対するレビューにおいて、レビューのために著作物の一部や場合によっては全部が複製(引用)されていたとしましょう。
そしてそのレビューに賛同できなかったりムカついたりした時に、その感情のはけ口として「著作権侵害だ!」というセリフが口から出てこないでしょうか?

ハッキリ言ってネット上に飛び交う「著作権侵害」という言説のうち相当の割合はこのパターンなんじゃないかと思ったりしています。

話が逸れました、判決文に戻ります。

・著作物の複製が生み出す公共の利益を考慮しなくてはいけないこと。
 例えば、
 〇得られる公共の利益は新しい表現の創造に対する「著作権の懸念」に関連しているか否か
 〇損額の推定額に比べて、えられる公共の利益が比較的重要か否か(ただし損失が発生した原因の性質も考慮する)
・これらの要素に基づいて、公共の利益と著作権者に生ずる損失とのバランスが求められること
・これらの検討は、プログラム著作物のフェアユースを検討する上で常に必要となるわけではなく、裁判所はこれらのみを検討すれば良いというわけでもないこと。
・しかしながら、本件(GoogleによるJava APIの再実装)が市場に及ぼす影響を判断する上では有効であること。

「著作権の懸念」というのは恐らく著作権を保護することによって創作が妨げられるという事態を意味すると思います。
保護する事で著作者が手にする利益とそれによる創作の奨励、 vs 著作物が利用されることによって社会が得る利益 このバランスをとる必要があると言っています。

超重要、というかもう完全に著作権法の方法目的の話をしています。

議論が法目的にまで及ぶというのは、それだけ問題が難しくかつ本質的ということです。
それほどに、オラクル(Sun?)が作り上げたJavaSEのAPIが社会に与える影響が大きく、コンピューティングの世界において欠かせないものだということです。
オラクルは負けてしまったわけですが、このような議論が最高裁で行われるという事自体がもうオラクル(Sun?)にとって勲章であると自分は思います。

というわけで、フェアユースの4要件の大トリ「市場への影響」の検討に際して前提となる情報が出揃いまして、ここから実体的な議論に入ります。

・AndroidはJavaSEの市場を侵さなかった可能性がある。
・Googleが(Androidで)APIをコピーしたか否かに関わらず、Sun(今はオラクル)はこれらの市場(Androido側の市場)参入に成功しなかった可能性がある。
・証拠より、Androidのスマートフォン技術とは無関係に、Sunのモバイル市場への参入は難しかった。
・JavaSEのプライマリマーケットはラップトップ、デスクトップであったという十分な証拠がある。
・モバイル市場に参入するためのSunの努力は失敗に終わっている。
・Andoroidリリース前の2006年の段階で既に、Sunの経営陣はスマートフォン技術の台頭によってモバイルでの収益が減少すると予測していた。
・Sunの元CEOは、Sunがスマートフォンにうまく参入できなかった原因はAndroidが原因ではないと答えている。
・Sunがモバイルの開発に課題を抱えていたという証拠から、「AndroidはJavaSEの市場を侵さなかった可能性がある」という評価は妥当である。

まず、Sun(判決時はオラクル)が、モバイル領域での市場獲得について課題を抱えていたことが証拠と共に語られます。
これはつまり、AndroidがSunのAPIをコピーしなかったとしても、Androidが獲得したモバイル領域での利益をSunが得ることは無かっただろう、という結論に向かっている話です。

次に、
・GoogleのAndroidプラットフォームを使用しているデバイスは、Sunのテクノロジーをライセンスしているデバイスとは種類が異なると繰り返し言われた事。
・たとえば、幅広い業界においてスマートフォンと、単純な「フィーチャーフォン」とが区別されていること。
・Sun作成のソフトウェアが用いられたデバイスの1つにはタッチスクリーンがなく、別のものにはキーボードがない事。
・他のモバイル機器において、Kindleのような単純な製品にはJavaが用いられ、Kindle Fireのような高度な製品はAndroidによって構成されること。
・これらの証拠は、大きなコンピューター(デスクトップやラップトップ)から小さなコンピューター(スマホ等)にSunのコードを転用するだけではない事を示しており、GoogleのAndroidプラットフォームは、Javaソフトウェアとは隔絶された(そしてより高度な)市場の一部であること。

ということで、Sun及びAndroidの具体的な状況を比較した上で、両者の市場が決定的に隔絶されたものである事(さらに言えばAndroidの方が進歩している事)が認定されます。
なんというか、この辺はSunがフルボッコにされていく感じです。
「当初の技術は優れていたけどその後進歩していないし、ビジネスも下手だ」と言われているような感じでしょうか。

・Androidのような新しいプラットフォームでJavaプログラミング言語が利用されてJava技術者のネットワークが拡大することが、Sunの利益になるとSun自身が予見していたこと・
・APIの再実装は成功の証であること。
・AndroidとJavaSEとは異なる市場で動いていること。
・二つの市場が論点であり、Java言語を学習してスマートフォン側の市場で働くプログラマーは、もう一方の市場であるラップトップ側でも活躍できること。

この部分についてはイマイチ意図が読み取れない気もした部分ですが、「Sun自身がAPIが再実装されてJavaSEがより拡がっていくことを望んでいた」という趣旨で語られているのかなと思います。

次に、Sun側の反証について触れられます。

・Sunは反対の証拠を提出していること
・CAFC(控訴審:この訴訟の一つ手前)では、第4要素「市場への影響」はフェアユースを否定すると結論付けられており、それはSunがAndroid市場への参入を試みていたたため(市場は隔絶されたものではなく、明確にSunとGoogleとが競合しているという趣旨?)であること。(SunはGoogleに対してライセンス契約を求めていた)
・しかし、そのライセンス交渉は宣言コードの37パッケージよりもはるか多くに言及されており、Javaコードの実装やブラディングおよび企業提携といった項目に及んでいたこと。
・いずれにせよ、仮にGoogleがSun Java APIの一部を使用しなかったとしても、Sunがスマートフォン市場に参入することは困難であった。

ということで反証が一蹴されます。

次に「利益」や「損害」というものの考え方について触れられます。

・Googleによる本件APIの複製は、Androidプラットフォームによる莫大な利益に貢献していること。
・Sun Java APIの著作権行使により、Oracleはその利益のかなりの部分を獲得する可能性があること。
・しかし、その利益をOracleが受け取るのはなぜか、そしてどのように受け取るのかを考える必要があること。
・APIや表計算プログラム等の新しいインターフェースが最初に市場に投入されたとき、それはより良い画面や進化した機能といった表現された機能によって新規ユーザーを獲得すること。
・ただ、時間経過とともにその価値は、ユーザー(プログラマーも含む)が慣れているという点に変化すること。
・Sun Java APIの使用をグーグルが希望していることを示す証拠が豊富である事。
・Androidの収益性の源はサードパーティー(プログラマーなど)によるSun Java APIへの投資(? 原文はInvestmentだが、プログラマーによる「投資」は考えにくい。努力、注力、協力、活用みたいな意味か?)に大きく関係するものであり、SunがSun Java APIを作ったこととはあまり関係がないこと。
・著作物の操作方法を学ぶための第三者による努力(原文は上記と同様Investment)を著作権法が守る理由はないこと。(著作権法の下で認識できる損害とは何かを特定する必要がある)

ということで、Googleが得た「利益」は多くのプログラマーのinvestment(努力?貢献?少なくとも「投資」と訳すとニュアンスが違う気がする)に起因するものであって、それはOracleの「損害」として観念できない、という趣旨のことが語られます。
ここについてはかなり難しい部分だと感じます。
多くのプログラマー、サードパーティがJavaSEを選択し、参入したのはなぜか、その理由にまで考えを巡らせると、それはもとを正せばSunが優れたAPIを作り出したから、ということにはなるんだろうと思います。

そして、

著作権法が守るべき「利益」とは何か?
著作権法の下で観念できる「損害」をどこまで広げるべきか?

といった点がこの訴訟の天王山で、その判断の結果として、
「GoogleがAndoroidで得た利益に直接的に貢献したのはSun Java APIを学んだプログラマーであって、Sun Java APIを作ったのが誰であろうと、その利益には無関係であり、API作成者の「損害」ではない。そして、”多くのプログラマーがSun Java APIを学んだこと”によって生じる利益は著作権法の下で保護されるものではない。」
という判断がされていると読みました。

特許法をはじめとした知財の法律において利益や損害が議論になる場合、それは具体的な損害額を検討する段階においてであって、その前段、権利侵害の是非においてはあまり議論には上がりません。
対して、民法の一般不法行為において知財に関係するような対象を議論する場合には「損害」が前面に出てきて原告による請求の是非が争われます。
特許法や著作権法のように特別法によって守られる対象ではないものを議論するので、「損害」が前面で争われるからですね。
これはあくまでも米国判例なので日本の法律とは違いますが、米国フェアユースの第4要件「市場への影響」の検討においては、ある種一般法的な包括的な視点での検討が求められるということではないでしょうか。

・プログラマーがSun Java APIの学習に注力したことを考慮すると、Oracleの著作権行使を認めることは公共の利益に反するおそれがあること。
・プログラマーにとって(Sun Java APIと)同様に魅力的である代替のAPIを作成する難易度やコストを考慮すると、権利行使を認めることは、Sun Java APIの宣言コードが、新しいプログラムの未来の創造性に対する「枷」となるおそれがあり、その「枷」の鍵はOracleだけが握ることになること。
・これは、Oracle(および他のコンピュータインターフェース著作権を握るたの会社)にとって非常に有益であること。
・しかしながら、その利益は、そのインターフェースを学んだユーザによる改善、新しいアプリケーション、新しい利用によって得られるものであること。
・その程度まで、上記の「枷」は著作権の基本的な創造性の目的を妨げるものであってはならないこと。
(参考情報)他社の競争を不可能にして市場を独占しようとする行為は、創造的表現を促進するという法目的に反する
(参考情報)後続のユーザが機能的を発展させるためにコンピュータプログラムをコピーした場合、「著作物の商標的価値」は利用されていないことに注意が必要である。
・著作権はアイデアの作成および拡散の両方の経済的利益を提供するものであること。
・ユーザーインターフェースの最実装により、創造的で新しいコンピューターコードをより容易に市場に投入できるようになること。

一つ上では「損害」が前面に議論されていてまるで民法の判例のようだと書きましたが、ここは独占禁止法、不正競争防止法の判例のような印象を受けます。
それほどに、本訴訟が難解であり問題を包括的にとらえて検討する必要があったということでしょう。

ともかく、Oracleによる権利行使を認めたと仮定した場合に想定される影響が議論され、そのような結果が著作権法の法目的に反すると言われています。

そして、

・Andoroid市場におけるSunの能力の不確実性、失われた収益源、創造性に関する公共への被害のリスクを総合的に考慮すると、第4要件「市場への影響」もまた、フェアユースに肯定的であること。

という形にフェアユースの第4要件についても肯定的に判断されました。

そして、ついに結論です。

・コンピュータ プログラムは基本的に機能的であるという事実が、その技術の世界で従来の著作権の概念を適用することを困難にしていること。
・その概念を変更するつもりはないこと。
・フェアユースに関する以前の訴訟(模造品、ジャーナリズム文章、パロディ等)を覆したり修正したりするものではないこと。
・むしろ、フェアユースのような著作権法の法理の適用は、立法府と裁判所の協力的な努力の結果であることが長い間証明されており、議会はそれが継続することを意図していること。
・そのため、フェアユース条項107条に定められた原理や、先行判例で定められた原理に目を向け、それらをこの(コンピュータプログラムという)異なる種類の著作物に適用したこと。
・Googleは、ユーザーが培った技術を新しいプログラムで適用可能となる最低限のものを採用してユーザーインターフェースを再実装したのであり、GoogleによるSun Java APIのコピーは法律問題として、それらのフェアユースであると結論付けられる。
(CAFCに差し戻す)

というわけで、ついに結論までたどり着きました。

個人的には、フェアユースの4要件の大トリ「市場への影響」、つまり今回のセクションがもっとも熱かったなと思います。
上でも書いた通り、これはもはや特別法である著作権法の検討ではなく、「違法か否か」を正面から議論する一般法、民法的な議論だと思います。
繰り返しですが、それほどに本質的で重要な訴訟だったということです。

「Androidの事業はSun Java APIの市場を侵していない。」

というのが第4要件「市場への影響」についての結論であり、その結果、フェアユースに対して肯定的に作用するということになりました。

そして、

フェアユース4要件の全てにおいてフェアユースに肯定的な判断がされた結果として、GoogleによるSun Java APIの使用はフェアユースであると結論付けられました。

なんですが、

裁判官による反対意見が提出されています。
「フェアユースに該当する」というのが多数派意見として確定したわけですが、

自分はそうは思いません!

という強い思いの裁判官がいらっしゃるわけです。

というわけで次回は反対意見の内容を見ていこうと思います。

その5.使用された部分の量と実質性<  >その7.反対意見(前編)

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