~その1.結論とシラバス~
~その2.技術的事項の説明~
~その3.著作物の性質~
~その4.使用の目的と性質~
~その5.使用された部分の量と実質性~
~その6.市場への影響&結論~
~その7.反対意見(前編)~
の続きです。
前回から、判決に添付された反対意見、すなわちGoogleの行為は著作権侵害を構成するという立場の意見を読み始めまして、
・宣言コードが著作物で保護される対象か否かを検討するべきだ
・議会は宣言コードと実装コードとを区別していない
・宣言コードは著作権で保護されるんだ!
という趣旨の意見が繰り広げられました。
これを確認した上で、フェアユースの四要件を検討する、という流れになっております。
(判決文PDFのP50から。)
具体的にフェアユースの四要件の説明に入る前に、改めて「宣言コードと実装コードとを区別するべきではない」「それにより、フェアユースの要件の判断も誤ったものになる」という趣旨の事が語られますが、割愛します
A. 著作物の性質
・この要素では著作物の創作性や機能のレベルを評価する必要があること。
・一般的に、著作物が「機能的」である場合にはフェアユースの成立に肯定的に作用すること。
・プログラムコードは機能的なものであり、フェアユースに肯定的であること。
・ただし、議会は宣言コード、実装コードの両方が著作権で保護されると判断しており、この要素だけではフェアユースの認定は確定されないこと。
ということで、改めて
宣言コードも実装コードも著作権により保護されることが原則だ
という趣旨が語られます。
それはそうなんですが、言い方が間違ってるなぁと感じます。
「宣言コードが著作権で保護される」のではなく、「プログラムコードを著作物として保護する上で、宣言コード、実装コードといったコードの内容を区別していない」というのが正しい表現ではないでしょうか。
その上で、コードの内容に応じて創作的であるか否か、それを保護することがアイデアそのものを保護することにならないか、フェアユースではないか、という点が逐次判断されるのが方の前提可と思います。
「宣言コードが著作権で保護される」と言ってしまうと、まるでコードの内容に関わらず宣言コードはすべからく著作物で保護されると言ってるように聞こえます。
と、こんな風に逐一書いていると全然前に進まないので次にいきます。
・多数意見はこの要素(著作物の性質)を使用して宣言コードと実装コードを区別し、宣言コードを著作権保護の対象から切り離していること。
・しかし議会はそうは言っておらず、著作権法は「特定の結果をもたらすためにコンピュータ内で」動作するコードを、「直接的」(実装コード) および「間接的」(宣言コード の両方で保護すると規定していること。
・開発者は実装コードを見ることさえできず、実装コードでは、開発者には何の表現も伝わらないが、対照的に宣言コードはユーザー向けであり、開発者がそれを呼び出すことができるように、開発者にとって直感的で理解しやすい方法で設計および編成する必要があるものであって、むしろ宣言コードは著作権の核心に近いものであること。
これはむしろ反対意見側が馬脚を表しているのではないでしょうか。
「開発者にとって直感的で理解しやすい方法で設計および編成する」というのは、言い換えれば「プログラミング言語として使いやすいように」と言ってるように聞こえます。
そして、「プログラミング言語」は明確に著作権の保護対象から除外されているものです。
また、著作物として保護されるプログラムコードとは、「特定の結果をもたらすためにコンピュータ内で動作するコード」であることは反対意見側も述べている大前提ですが、「開発者にとって直感的で理解しやすい方法で設計および編成する」というのは、「特定の結果をもたらすためにコンピュータ内で動作するコード」ではなく、そのコードを構築するためのツールとしての意義です。
やはり、反対意見には賛同できない部分が散見されます。
続けます。
・確かに、宣言コードは、「著作権で保護されていない”アイデア”と本質的に結びついています」が、それですべてが否定されるのだろうか?
・書籍は本質的に、章の使用、筋書き、台詞や脚注の挿入など、著作権で保護されないアイデアに縛られているが、 これは、書籍を「著作権の核心から」遠く離れた場所に置くものではないこと。
・多数意見において著作権によって保護されていることが認定されている実装コードは、本質的に著作権で保護されない「コンピューティング タスクの分割」と結びついているが、著作権の対象外であるアイデアに関連していると理由だけで、保護が否定されるわけではないこと。
・アイデアは著作権では保護されないが、そのアイデアの表現は保護され得ること。
つまり、著作権の保護対象外のものと関連しているからと言って、直ちに著作権による保護が否定されるわけではない、ということが言いたいわけですが、一般論でしかなく宣言コードの性質がフェアユースに否定的に作用するという論証には遠いと感じます。
・宣言コードの価値が、サードパーティがコードの学習にどれだけの時間を投資するかに依存することは間違いないが、他の多くの著作物も同じものに依存していること。
・ブロードウェイのミュージカル脚本は、俳優や歌手に対してそれを学び、リハーサルする時間を求めるが、劇場が台本をコピーすることはできず、その権利は小規模な劇場が保有していること。
・それは、単に、俳優に劇場を切り替えるように仕向けたいからであり、台本をコピーする方が俳優に新しい台本を習わせるよりも効率的だからであること。
多数意見において説示された、宣言コードの価値はJavaの宣言コードを学んだプログラマーのスキルに依拠するものであるという意見に対するカウンターですが、これは穴だらけですね。
たしかに、ミュージカル脚本には、ここで言われるような、俳優や歌手を劇場に惹きつける、まさにプログラマーを言語環境に惹きつけるのに似たような効果はあるんでしょうが、それ以上に、その内容によって生み出される舞台、それによって聴衆に与える情景、感動こそが価値の本質ですよね。
そして、そのような効果に相当するプログラムとしての効果、例えばコンピュータの動作が優れたものになる、とった効果は残念ながら宣言コードそのものにはないでしょう。
なぜなら、宣言コードはコンピュータを動作させるための実際のソースコードを構築するためのツールでしかないからです。
続けます。
・多数意見は、宣言コードに当てはまり、実装コードにも当てはまること。
・宣言コードはプログラマーが事前に作成された実装コードにアクセスする方法であり、その実装コードの価値は、関連する宣言コードをプログラマーがどれだけ評価するかに比例すること。
・多数意見では、宣言コードが「コードの実装と密接に結びついている」ことを正しく認識しているが、それ自体の結論の意味を見落としていること。
・宣言コードの性質により、そのコードは一般に保護に値しないものになるという誤った結論を下した後で初めて、裁判所は他の要因の検討に移っていること。
・この冒頭の誤りは、裁判所の分析全体を汚染していること。
というわけで、前の段落の穴のある論旨を引き継いでいるため、結論の説得力もイマイチです。
ともかく、「著作物の性質」に関して、反対意見においては、「宣言コードと実装コードとは区別されていない!」という主張一辺倒です。
そう言うなら、宣言コードの著作物性、創作的であるか否かに踏み込んで論じて欲しいところですが、そのような言及はありませんでした。
B. 市場への影響
・オラクル著作物の潜在的な市場または価値に対するグーグルのコピーの影響は、間違いなくフェアユース判断の唯一にして最重要な要素であること。
・CAFCが判断した通り、その影響は圧倒的であり、オラクルのコードをコピーしてAndroidを開発したことにより、グーグルは少なくとも2通りの方法でオラクルの潜在的な市場を台無しにしたこと。
ということで、市場への影響についてはかなり詳しく語られます。
まずはAndroidoの収益モデルが広告モデルだったということが語られます。
・オラクルは、Java プラットフォームのインストールに対してデバイスメーカーに対価を請求して収益が得ていたが、GoogleはAndroidをデバイス メーカーに無料でリリースし、Androidを使用して消費者に関するデータを収集し、行動広告を配信することで収益を得ていた。
・その結果、オラクルのコードの大部分を含む(すなわち、同様のプログラミングの可能性を持つ)無料の製品が利用可能になったため、デバイス メーカーはもはやJavaプラットフォームを組み込むために対価を支払う理由を見いだせなくなったこと。
・例えば、GoogleがAndroid をリリースする前に、AmazonはJavaプラットフォームをKindleデバイスに埋め込むライセンスを購入していましたが、Androidのリリースした後、AmazonはAndroidの無償提供を利用して、Oracleとの間でライセンス料の97.5%割引を交渉したこと。
・Google が Androidをリリースした直後にSamsungとOracleとの契約が4,000万ドルから約100万ドルに減少したことを示していること。
・多数意見は、この甚大な被害を無視していること。
このように、Androidの登場によってOracleのJavaプラットフォームによる収益が激減したことが示されています。
この主張は、多数意見の論旨に対しては確かに有効だなと感じます。
新しい技術の登場によって古い技術が淘汰され、その収益が減少することは当然に起こりうることです。
ただし、その淘汰は、知的財産の侵害によるものであってはならない。
それが法の大前提です。
そしてこのフェアユースの「B.市場への影響」の判断は、ある行為が杓子定規的に条文に照らして著作権の侵害になるという前提において、著作権者に対する経済的な影響が軽微であれば、即ち著作権者がその行為によって大きく損をしていなければ、その行為はフェアユースの範疇として許される、という判断です。
そして、この反対意見の主張によれば、OracleはGoogleのAndoroidリリースにより、莫大な額の収益を失っているようです。
その主張を崩すのであれば、正攻法としては、フェアユースの議論を持ち出すのではなく、「Oracleの収益の減少はGoogleの著作権侵害が主な原因ではない」若しくは「Googleの行為は著作権侵害には当たらない」という主張しかないはず。
フェアユースの要件は4つあるので、この「B.市場への影響」だけが判断基準ではありませんが、著作権侵害が形式的には存在するという前提で考えるのであれば、この要素についてはフェアユースは否定されてもおかしくないと感じます。
やはり、「実装コードと切り離された宣言コード単体は著作物ではない」という結論が正当に感じます。
続けます。
・第二に、Google は、オラクルがJavaプラットフォームをスマートフォンのオペレーティング システムの開発者にライセンス供与する機会を妨害したこと。
・Oracleのコードは非常に価値あるものであり、GoogleがOracleのコードをコピーする前は、市場に出回っているほぼすべての携帯電話にJavaプラットフォームが搭載されていたことが、Googleが4回もライセンスを取得しようとした理由を示している。
・GoogleがOracleから他のライセンスも求めたという多数意見は、この中心的な事実を変えるものではないこと。
・両者はOracleがその宣言コードをライセンス供与することで、Googleの現在の市場に参入できることに同意したが、コードをコピーしてAndroidをリリースしたことで、GoogleはOracleがそのコードを使用するためのライセンスを取得する機会を排除した。
・多数意見は、Oracleが現代のスマートフォン市場にうまく参入できなかった可能性があることを陪審員が発見した可能性があると言って、この害を帳消しにしているが、Oracle自身がその市場に参入できるかどうかは全体像の半分にすぎないこと。
・私たちは、「オリジナル作品の作成者が一般的に開発する」潜在的な市場だけでなく、著作権者が「他者に開発をライセンス供与する」可能性のある潜在的な市場にも注目していること。
・本の著者は、他の誰かにライセンスを与えることができる限り、個人的に本を映画に変換できる必要はありません。オラクルがそのコードを Android で使用するライセンスを取得できたことは、議論の余地がありません。
ということで、Googleの行為がなければOracleはライセンス収入を得られていたはずだ、という趣旨のことが語られます。
第一の理由ほど説得力は高くなく、あくまでも可能性の話でしかないですね。
「影響」を語る上で、可能性の推論はやはり弱いでしょう。
このあと、反対意見は多数意見での言及に対するカウンターとして、Oracleの権利を認めることは「将来の創造性を制限する」、いわゆるロックイン効果について触れ、それは大きな問題にならないということが語られます。
本件の対象であるAndroidのバージョンが古いことやアップルやマイクロソフトはコードをコピーしていないこと等が語られますが、多数意見においてそうだったのと同様、あまりフェアユースの議論に対して重要な主張には聞こえないので割愛します。
「むしろGoogleは反トラスト法で罰金受けてるじゃないか」という主張はなんとも子供の喧嘩のようで笑えました。
というわけで、「A.著作物の性質」、「B.市場への影響」についての反論でした。
最終的な結論が間違っていたとまで思わせる内容ではないですが、「B.市場への影響」については一考の価値があり、本件の判決は「フェアユースの適用によって許される」ではなく、「宣言コードは著作物ではない」という判断であるべきだったのではないか、と思わせる内容ではあったかなと思います。
長くなったので中編としてここで切り、「C.使用の目的と性質」、「D.使用された部分の量と実質性」からの結論については次回。
“米国最高裁判決、グーグルvオラクル Java訴訟 ~その8.反対意見(中編)~” への2件のフィードバック