「クライアントの利益」という言い訳の有難み ~税関専門委員の経験より~

税関専門委員というのをやらせて頂いております。

詳細はリンク先の通りですが、つまりは税関での輸入差止申立に対して「この輸入差止は受理すべき/すべきでない」という意見を提出する役割です。

一見、通常行っている業務、例えば侵害判定の業務と大差ないようにも見えますけど、実際には脳みその普段使わない部分をだいぶ使います。

まず税関での輸入差止申立というものの位置づけをザックリ且つセンセーショナルな言葉で解りやすく表現すると、

申立のあった輸入品を「侵害品だ!」として裁判所の命令無しに差し止めて輸入者の権利を制限することにより権利者の利益を保護すること

です。

ここで重要なのは、言わずもがな「裁判所の命令無しに」の部分。

これは非常に重大なことです。
法治国家として法の下での自由が約束されているわけですが、違法行為として自由が制限されるべき行為であるか否かについては最終的には裁判所で争われるわけです。
警察が人を逮捕する際にも(令状請求の妥当性が毎回慎重に判断されているか否かはさておき)裁判所の令状が必要です。

その裁判所の判断を待たずして輸入品を差し止める、言い換えれば自由を制限するわけですから、非常に重大です。
(まぁ、税関での処分に不服がある場合、最後の最後には裁判所で争われるわけですが。)

この税関での手続に対する自身の認識はズバリ

裁判所を煩わせるまでもなく客観的に明らかな事案の処理

です。

なんでもかんでも判断を裁判所に委ねていては事案の処理に時間がかかりますし(税関手続きにも相応の時間はかかりますが)、輸入品が一度国内に入ってしまうとそれを全て回収して拡散を防止するのは困難になるので、司法の判断を仰ぐまでもなく明らかな事案は税関で処理しましょうという趣旨。

なので、税関専門委員として意見書を提出する際には、
・侵害であることが明らか→輸入差止申立を受理すべき
・侵害でないことが明らか→輸入差止申立を受理すべきでない
という意見になるのは当然として、
・侵害かもしれないけど議論すべき点はある→司法の場で争われるべき事案であるので輸入差止を受理すべきでない
というスタンスになります。

こう書くと「明らかなこと」を判断すればいいだけのとても簡単なお仕事です、に見えてしまうかもしれませんが、物事はそれほど単純ではありません。
「”明らかであるか否か”という判断において悩む」という、禅問答のようなループが開始されます。

物事の解像度を上げていけば、行き着く先は量子、不確定です。

悩んだ時点で既に「明らかではない」んだから、→輸入差止申立を受理すべきでない、でいいじゃんか。
と単純化してしまっては思考停止ですし、税関における輸入差止申立制度の存在意義が没却されていまいます。

こんな時に思うわけです、「クライアントの利益」っていう言い訳は便利だな、と。

弁理士にも様々なのがいますが、自身が自認している弁理士としての信条は

クライアントの利益のために全力を尽くすのは大前提としつつも、制度趣旨に完全に反する結果を得てまでクライアントの利益を追求することは返ってクライアントの不利益になるので、クライアントの無茶な要望を諌めることがクライアントの利益に資する

というもの。
もっともよく現れているのは商標に関する戦略ですね。

・そんな商標ブローカー丸出しの出願なんか代理しません
・その出願は登録されたとしても判例上権利行使は否定されるんで無意味です
・最悪、登録だけしておきたいということなら請けますが、登録後に権利行使しないって約束して下さい

こんな感じのことを日常的に言ってます。

これは別に、「法の趣旨を捻じ曲げてはいけない!」なんていう正義感を振りかざしているのではなく、単純にその行為がダサいので結果的にクライアントの評判を落とすことになると思ってるからです。
意識高い系知財の人たちには死んでも理解できないでしょうけど。

それでも、制度趣旨に反しているか否か簡単には判断できない微妙なラインでは、「クライアントの利益」を尊重して仕事として全力を尽くします。

その結果として、「あ、通っちゃうんだ。。。」という結果もあります。
特に、特許出願では「これは進歩性無しだろうなぁ。」と思いながらも全力で対応した結果、登録査定が来たことは数知れず。

話がそれました。

ともかく、「制度趣旨」に従った判断を行うことにについては、自分は弁理士の中では比較的親和性のある方だと思うのですが、それでも難しい場合というのは当然あり、そんな判断を日常的に行っている審査官、審判官、裁判官の方々には改めて頭が下がります(アイツとアイツと・・・は除く)

これまで、判断の難しい微妙なラインにおいて「クライアントの利益」のためと称し、迷うこと無く(?)意見を主張してこれたのは非常に有り難いことだったんだなぁと思う次第。

とまぁ、ここで終わってもいいんですが毒を一つ。

制度趣旨に反した戦略は返ってクライアントのためにならない、というのはあくまでも自分の意見で、自分自身にとってはそれが絶対ですが、そうは思わない弁理士も当然いるでしょう。
明らかに商標ブローカー丸出しの商標出願だろうと依頼があれば依頼者のために全力を尽くすというのも1つの姿だとは思います。自分はダサいと思いますけど。

が、そのような場合でも大前提としてあるのはクライアント、依頼者の存在です。
国から専権業務を与えられている我々の最大にして唯一の免罪符、それが依頼者の存在。
産業の発展に寄与しないショボい技術の特許化や特許権行使であっても、業務上の信用の維持や需要者の利益には無関係な商標ブローカー丸出しの商標であっても、どれだけ制度趣旨や法目的に反している依頼であっても、依頼者の利益のためであればそれは免責されるのでしょう(私は諌めますが)。
その当事者が主張を戦わせる中で、制度趣旨を守るのは特許庁や裁判所の役割だと思います。

ですが、

弁理士という資格と経験をもち、ショボい特許を自ら権利化し、権利行使して私腹を肥やす輩がいる。

これは許されるんでしょうか。

なんらかの特殊技能を有すると、それに関連した制約が課されるというのはままあることだと思います。
詳しく知らないですが、プロボクサーが喧嘩したらどうこうとかよく言われます。
自分は少林寺拳法三段なのですが、喧嘩すると素手でも凶器所持とみなされるそうです。実際に喧嘩になると、絡まれた側であっても正当防衛が適用されにくいとかいう話もあり、「だったら無抵抗でいろっていうのかかよ」と思ったりします。

理不尽だなぁとは思いますが、「特殊技能を修める」ということは、その技能を世のため人のために役立てる義務を負う、という法治国家としての指針なのでしょう。

ましてや、弁理士は専権業務という形で明確な「権利」が与えられているわけです。
にも関わらず、「依頼者」不在でその特殊技能を行使し私腹を肥やすというのは、蛇蝎のごとく嫌われ成敗されて然るべきではないかと思う次第。

なんにせよ、在野の弁理士として得た知見を税関専門委員として世間のために使いつつ、そこで得た経験をもって更に依頼者の利益に資する業務を提供していきたいと思う次第です。

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