~その1.結論とシラバス~
~その2.技術的事項の説明~
~その3.著作物の性質~
~その4.使用の目的と性質~
の続きです。
フェアユースの判断要素、
(1)使用の目的と性質
(2)著作物の性質
(3)著作物全体に関連して使用される部分の量と実質性
(4)著作物の潜在的な市場または価値に対する使用の影響
についての判決文での説明を見ている途中、今回は(3)著作物全体に関連して使用される部分の量と実質性(“The Amount and Substantiality of the Portion Used”)、についてです。判決文のPDFでは32ページ。
1.Googleによるコピー量の説明
まず、Googleによるコピーの定量的な説明がされます。
・Googleがコピーした宣言コードの量自体は非常に多く、Sun Java APIの37個のパッケージのための宣言コード、トータルで約11,500行のコードがコピーされた。
・これらのコードの行は事実上全ての宣言コードに相当する。
・他方、全体に対して見ると少なく、Sun Java APIコンピューターコードの合計セットは286万行で、そのうちコピーされた11,500行はわずか0.4%だった。
If one considers the declaring code in isolation, the quantitative amount of what Google copied was large. Google copied the declaring code for 37 packages of the Sun Java API, totaling approximately 11,500 lines of code.
Those lines of code amount to virtually all the declaring code needed to call up hundreds of different tasks.
On the other hand, if one considers the entire set of software material in the Sun Java API, the quantitative amount copied was small. The total set of Sun Java API computer code, including implementing code, amounted to 2.86 million lines, of which the copied 11,500 lines were only 0.4 percent.
11,500行のコードがコピーされたと聞くと非常に多く、フェアユースと言っていいのか疑問に思う反面、全体のわずか0.4%と聞くと非常に少なく、フェアユースに対して肯定的な印象を受けるという実感があるかと思います。
2.コピー量と実質性についての基本的な考え方
ここで、コピー量と実質性についての基本的な考え方が提示されます。
すなわち、
・コピーされた部分が元の著作物の創造的表現(日本でいうところの創作性が発揮された部分か?)の「中心」で構成されていれば、少量のコピーであってもフェアユースは適用されないこと。
・コピーされた部分が、元の作品の創造的表現をほんとんど抽出していないか、若しくはコピー者の(法的に)正当な目的の中心である場合には、大部分のコピーであってもフェアユースが適用されること。
We have said that even a small amount of copying may fall outside of the scope of fair use where the excerpt copied consists of the “‘heart’” of the original work’s creative expression.
On the other hand, copying a larger amount of material can fall within the scope of fair use where the material copied captures little of the material’s creative expression or is central to a copier’s valid purpose.
そして具体例として、小説の一文をコピーした場合の例が上げられます。
・小説の一文をコピーした場合は実質性は満たされない(フェアユースに肯定的)可能性があること。
・しかし、その一文が世界で最も短い小説のひつである“When he awoke, the dinosaur was still there.”であった場合、コピーされた部分は少量であっても小説全体を構成することとなり、話は大きく変わること。
If a defendant had copied one sentence in a novel, that copying may well be insubstantial.
But if that single sentence set forth one of the world’s shortest short stories—“When he awoke, the dinosaur was still there.”—the question looks much different, as the copied material constitutes a small part of the novel but the entire short story.
これはすなわち「量は関係なく、本質的部分をコピーしているか否かだ」と言っているように聞こえるのですが、判断項目としては「量と実質性」(“The Amount and Substantiality…”)となっているのが疑問といえば疑問です。
3.本件についての考え方
本件を判断する上で、Googleがコピーしなかった数百万行に目を向けるべきことが提起され、以下のように指摘されます。
・Sun Java APIはそれらのタスク実装行(APIによって呼び出される実装コード?)に不可分に結合されており、その目的はそれらを呼び出すことである。
・Googleによるコピーは、それら(Sun Java API)の創造性、美しさ、もしくは(ある意味で)目的のためですらなく、Sun Java APIのシステムでの作業を学んだプログラマーを引きつけてAndroidのスマートフォンシステムを構築するためであったこと。そのコピーがなければ、それは困難であっただろうこと。
・Googleの目的は、さまざまなコンピューティング環境(スマートフォン)向けにさまざまなタスク関連システムを作成し、その目的の達成と普及に役立つプラットフォーム(Androidプラットフォーム)を作成することであること。
For one thing, the Sun Java API is inseparably bound to those taskimplementing lines. Its purpose is to call them up.
For another, Google copied those lines not because of their creativity, their beauty, or even (in a sense) because of their purpose. It copied them because programmers had already learned to work with the Sun Java API’s system, and it would have been difficult, perhaps prohibitively so, to attract programmers to build its Android smartphone system without them.
Further, Google’s basic purpose was to create a different task-related system for a different computing environment (smartphones) and to create a platform—the Android platform—that would help achieve and popularize that objective.
そして、「実質性」の要素はフェアユースに肯定的であり、コピーの量は、有効で変容的な目的に結び付けられていると述べられます。
The “substantiality” factor will generally weigh in favor of fair use where, as here, the amount of copying was tethered to a valid, and transformative, purpose.
4.巡回控訴審の否定
最後に、「Googleは、Java言語で記述する必要がある170行のコードのみをコピーすることで、Java互換性の目標を達成できた」という巡回控訴審の結論が否定されます。
We do not agree with the Federal Circuit’s conclusion that Google could have achieved its Java-compatibility objective by copying only the 170 lines of code that are “necessary to write in the Java language.”
この結論において認定されている「Googleの目的」は、「AndroidシステムでJavaプログラミング言語を使用できるようにすること」ですが、それは狭すぎるものであり、「プログラマーがAndroidプラットフォームを搭載したスマートフォン向けの新しいプログラムを作成するときに、SunJavaAPIを使用した知識と経験を活用できるようにするため」と認定するべきであることが述べられます。
Googleは独自の異なる宣言コードのシステムを作成したかもしれませんが、そうすると上記の目的が達成されなかったことが指摘されます。
ここから、なんとなく感情的で判決文という性格になじまない表現になるのですが、「宣言コードは、プログラマーの創造的なエネルギーを解き放つために必要な鍵であり、独自の革新的なAndroidシステムを作成し、改善するために、これらのエネルギーが必要だった」と述べられます。
ニュアンスは伝わるのですが、日本の判例ではまず見ない表現で、少々戸惑います。
5.結論
そして、「実質性」の要素もフェアユースに有利に働くと結論付けられます。
フェアユースの4要件について、一貫して語られるのは「プログラマーが習得したJava SEのスキルの有効活用」ということですね。
というわけで、フェアユースの4つの判断要素のうちの3つめ、「著作物全体に関連して使用される部分の量と実質性」も、フェアユースの適用に肯定的であることが示されました。
(1)使用の目的と性質 →肯定
(2)著作物の性質 → 肯定
(3)著作物全体に関連して使用される部分の量と実質性 → 肯定
(4)著作物の潜在的な市場または価値に対する使用の影響
“米国最高裁判決、グーグルvオラクル Java訴訟 ~その5.使用された部分の量と実質性~” への3件のフィードバック