~その1.結論とシラバス~
~その2.技術的事項の説明~
~その3.著作物の性質~
~その4.使用の目的と性質~
~その5.使用された部分の量と実質性~
~その6.市場への影響&結論~
~その7.反対意見(前編)~
~その8.反対意見(中編)~
の続きです。
長く続いたこのシリーズも今回が最終回です。
まずは前回の続き、反対意見におけるファユースの4要件の3つ目からです。
判決文PDFの58ページから
C. 使用の目的と性質
・2番めに重要な要素である「使用の目的と性質(その使用が商業的な性質のものか、非営利の教育目的のものかを含む)」のために、使用が「商用的」であったかどうか、およびそれが「変容的」であったかどうかを検討する必要があるが、いずれもOracleに有利であること。
ということで、まずは「商用的」「変容的」という2つのキーワードが示され、まずは「商用的」の方から話が始まります。
・まずは、Googleのコピーが圧倒的な商用的性質を持つことから始めるが、フェアユース裁判の前年である2015年だけでも、GoogleはAndroidから180億ドルを稼ぎ出し、Androidが成長して世界市場のシェアを独占するにつれて、その数は間違いなく劇的に増加していること。
・この規模では、Google による Oracle の宣言コードの使用は重要であり、決定的でないにしてもフェアユースにたいして否定的であること。
・多数意見は、商用利用が「必ずしも」フェアユースに不利になるとは限らないと指摘することで、この圧倒的な商用利用を却下しようとしていること。
・その通り、商業的な使用は、十分に「変形的」な使用によって克服できる場合があるが、「Oracleの商業的に価値のあるプラットフォームに取って代わるというGoogleの意図的な目的を無視することはできず、それを無視したとしても、数百億ドルに達する著作権所有者の市場を破壊するコピーにフェアユースが適用されたことはないこと。
と言う形で、Googleの使用は十分に商用的であったと指摘し、それを覆す議論として変容的の話に入ります。
・いずれにせよ、Googleの変容的な使用は不十分であり、裁判所は一般論として、複製者の使用が変容的でない限り、フェアユースを認定することはできないこと。
・作品が「新しい表現、意味、またはメッセージでオリジナルを変更し、さらなる目的または異なる性質で何か新しいものを追加する」場合、その作品は「変容的」であること。
・この問題は「§107 の前文に示されている [フェアユース] の例に基づいている」こと。
・それらの例には、「批評、コメント、報道、教育 …学問、または研究」が含まれること。
・これらの例は限定列挙ではないが、例示的なものであり、GoogleがJavaコードを大型のコンピューターから小型のコンピューターに転用したことは、どの例にも該当しないこと。
変容的の議論として、まずは条文の例示列挙に言及し、Googleの行為がいずれにも当てはまらないことを指摘します。
次に、変容的の基本的な考え方である、「新しい表現、意味、またはメッセージでオリジナルを変更し、さらなる目的または異なる性質で何か新しいものを追加する」を前提とした議論に入ります。
・Googleは、Oracleのコードを使用して、互換性を確保するためにシステムを教えたりリバース エンジニアリングしたりせず、代わりに、「新しいものを作り上げるという単調な作業を避ける」ために、Oracleが行ったのとまったく同じ目的で宣言コードを使用したこと。
・連邦巡回裁判所が正しく判断したように、「著作権で保護された作品を逐語的に解釈し、競合するプラットフォームでオリジナルと同じ目的と機能のために使用することは公正ではない」こと。
・多数意見は、Google がOracleが行ったのと「同じ理由で」コピーされた宣言コードを使用したことを認めていること。
・つまり、多数意見はかわるがわる、「変容的」の定義を変えていること。
変容的の前提条件に照らして、Googleの使用は適用できず、判決は変容的の定義を変えていると指摘されます。
確かに、Googleによる宣言コードの使用が変容的か否かといえばそれは違うと思います。
続いて、例え話で説得力を上げにかかります。
・現在、少なくともコンピューター コードの場合における「変容的」とは、他の人が「新しい製品を作成する」のに役立つ使用法を意味するだけだと言われているが、その定義は著作権を骨抜きにすること。
・例えば、本を許可なく映画に変換する映画スタジオは、新しい製品 (映画) を作成するだけでなく、他の人が映画のレビュー、関連商品、YouTube のハイライト リール、深夜のテレビ インタビューなどの「製品を作成」できるようにすること。
・ほぼすべてのコンピューター プログラムは、一度コピーすると、新しい製品の作成に使用できるものであり、新しい原稿を作成するために Microsoft Word を使用できるという理由だけで、Microsoft Word の次のバージョンを海賊版にすることができるとは、絶対に言わないだろうこと。
これもまぁわかります。
・最終的に、多数意見は、変容的使用と派生的使用を誤って混同していること。
・作品が変容的であるためには、オリジナルとは根本的に異なる何かをしなければならないのであり、新しい文脈で同じ目的を果たすだけの作品は、多くの人が認めていることですが、派生的であり、変容的ではないこと。
・議会は、オラクルが「二次的著作物を作成する排他的権利」を保持していることを明示していること。
・Google は変容的な製品を作成するのではなく、「慣習的な対価を支払うことなく、著作物を利用することで利益を得た」のであること。
ということで、Googleによるコピーは「商用的」であって、「変容的」でない、という結論です。
侵害であるか否か、違法であるか否かはさておき、Googleによる宣言コードの使用は「そのまんま」であることは間違いないわけで、「それを利用して新しいものが作り出されるから変容的である」という多数意見の論旨は、確かにちとこじつけ感が強いとは思います。
D. 使用された部分の量と実質性
・法定のフェアユース要因として、「全体としての著作物に関連して使用される部分の量と実質性」を考慮する必要があり、一般に、使用量が多いほど、コピーが不当である可能性が高くなること。
・しかし、たとえ複製者がわずかな量しか使用しないとしても、作品の「核心」または「焦点」をコピーすることはフェアユースに反すること。(ただし、複製者が変容的な使用を達成するために「必要以上に取られていない」場合を除く。)
・Googleは、オラクルの作品の核心または焦点をコピーしたという連邦巡回裁判所の結論に異議を唱えておらず、宣言コードは、プログラマーをJavaプラットフォームに惹きつけた理由であり、Googleがそのコードに非常に関心を持った理由でもあること。
まずは「実質性」の方を否定します。
・そして、Googleはそのコードを「そのまま」コピーしたため、フェアユースに反すること。
・多数意見は反対しておらず、代わりに、Googleが新製品を作成するのに必要以上に取られなかったと結論付けているが、Googleの使用は変容的ではないため、その分析は失当であること。
・したがって、この要因はGoogleに不利であること。
なぜか一つ前の要因に再び言及していますが、どういう意図なのかイマイチわかりませんでした。
たしかに、「使用の目的と性質」と「実質性」の議論は親しい関係あるとは思います。
・Googleの使用が変容的であったとしても、Googleが元の作品のほんの一部をコピーしただけであると結論付けるのは大きな間違いであること。
・多数意見は、11,500行の宣言コード (付録の約600ページを埋めるのに十分な量)は、Javaプラットフォームのコードのほんの一部であると指摘しているが、適切な分母は宣言コードであり、すべてのコードではないこと。
多数意見では11,500行の宣言コードが全体に対してわずか0.4%であったと指摘されていますが、分母が間違っていると指摘されます。
・コピーされた作品は、それが「オリジナルの作品の市場代替品として機能する」か、その作品の「潜在的にライセンスされた派生物」として機能する場合、量的評価は十分であること。
・宣言コードは、プログラマーを惹きつけたものであり、それが、AndroidをOracleのJavaプラットフォームの「潜在的にライセンス供与された派生物」の「市場代替物」にした理由であったこと。
・Google のコピーは、質的にも量的にもかなりのものであったこと。
ここは反対意見側の言葉で否定されかねないかなと思います。
反対意見では「宣言コードと実装コードとは切り離せない」という趣旨のことを言っているわけですが、宣言コードだけでは機能しないので、「代替物」としては不十分であると反対意見側の言葉で反論できてしまいます。
小括
・要するに、4 つの法定フェアユース要素のうち 3 つが、Googleに決定的に不利な立場にあること。
・著作権で保護された作品の性質(おそらく Google に有利な唯一の要因)だけでは、フェアユースの決定を支持することはできず、そうでななければ、宣言コードは著作物であるという議会の決定を不適切に覆すことになること。
ここを読んで、「A. 著作物の性質」におけるイマイチ結論がはっきりしない記述ぶりにガテンがいきました。
あの書きぶりはつまり「A. 著作物の性質」はフェアユースに肯定的な可能性もあるということだったんですね。
それを正面から言いたくないもんだから「この判断の誤りが以降の要素(他の3要素)の判断を誤らせている」みたいな書きぶりになったという。
確かに、「A.著作物の性質」以外の要素、少なくとも「B.市場への影響&結論」「C.使用の目的と性質」に関しては、反対意見の主張は一理あるなと思うものでした。
まとめ
・多数意見は、宣言コードが著作物であるか否かという問題は別の日に取っておくと主張しているが、それは、宣言コードが著作物であるという結論と、根本的に欠陥のあるフェアユース分析を一致させることができないからであることが明白であること。
・多数意見は、フェアユースを使用して議会が検討した政策判断を骨抜きにしたのであり、ここに反対を表明すること。
・大多数は、フェアユースを使用して、議会が検討した政策判断を骨抜きにしてきました。 私は丁重に反対します。
というわけで反対意見を読んでみたわけですが、読んでいく中で、
フェアユースに逃げるな!APIの著作物性を正面から議論しろ!
ということが言いたいのでは?と感じていたところ、結論にそんな感じのことが書いてありましたね。
反対意見は名目上はOracle支持となっていますが、真意はそこではなく「フェアユースに逃げるな!」が言いたかったのではないでしょうか。
総括
そもそも、私がこの裁判に興味を持ったのは、「API著作権裁判」ということで、プログラムの著作物性についての議論を勉強できると思ったからでした。
いつも判例を読むとき、だいたい30分あれば判旨や重要論点を掴めるのですが、この判例を読み始めてみると、とりあえずプログラムコードの著作権について語られていることは理解できるものの、真意がどこにあるのかが掴めない難解な文章で当初は何度も挫折しました。
そして判決から1年以上経って本腰を入れるのですが、いつものように判決全体をまとめて1回の記事で書こうとするとまた挫折するのではないかということもあり、読んでいく過程を記事にしていく形で、なんとか最後までたどり着こうと決意します。
そして、とりあえず判決の結論までたどり着くのですが、その時の理解は「ふ~ん、、、」という、なんともしっくりこない、少なくともプログラムの著作物性についてこの判決の方針を理解できたとは言い難いものでした。
そりゃそうですね、
論じられていないんですから
ということで、更なる理解を求めて反対意見を読み始めたわけですが、この反対意見のおかげでこの判決深く理解することができました。
この判決の多数意見を少々嫌味も含めてまとめると
・さすがにAPIのコピーで著作権侵害を認めるのはナンセンスだよね
・でも最高裁でAPIは著作物じゃないって言いきっちゃうのは怖いよね
・著作物性の判断なんてしたくないよね
・GoogleがAPIをコピーした理由的にフェアユースってことにできそうだよね
・そうしよう
という感じかと思います。
対して反対意見は条文と判例に則って淡々とフェアユースの四要件を判断しました。
その結果は上記の通り。
「A. 著作物の性質」については、「他の要素に悪影響を与えている」という事を言いたいがためにちょっと難解な文章になってしまっていますが、他の3つの要件については多数意見よりも納得度の高い論旨だったのではないでしょうか。
結果として、
・Oracleの申立が否定されるという結論については同意できる
・フェアユースの4要件の判断については釈然としないし、反対意見の方が説得力が高い
・つまり、Googleの行為が許される(と感じる)要因は「フェアユースが適用されるから」ではないのではないか?
・APIの著作物性を正面から議論するべきではないか?
というのが本件を理解した上での感想です。
とはいえ、これは最高裁判決ですので一定の既判力を持つことは間違いありません。
今後、APIのような、言語そのものとは言えずとも、その延長線上にあるような「仕組み」はフェアユースで処理されるということになるのでしょうか。
ソフトウェア関係を主要分野として弁理士なんてことをやっていると常々思う事ですが、プログラムが著作物性を有する/有しないの境界を思わせるような裁判にはいつになったら出会えるのか。。。