知財制度とは権利を保護するための制度ではない。むしろ保護されず、人類共通の財産として万人に開放される範囲を画定するための制度である。権利として保護される範囲はその裏返しでしかない。
という趣旨のことを常々言ったりしてます。
そんな知財制度の根幹を突く訴訟としてGoogleとOracleのJava訴訟に非常に注目していました。さすが知財制度の根幹を突く重要訴訟ということで最高裁までガッツリ争ってくれました。
チマチマと読んでいたものの何かを語れる程の理解度に到達した気が全くせず、途中で投げたり、また読んでみたりとダラダラやっていた次第です。
結論的にはGoogleによるAPIのコピーが「フェアユース」つまり著作物の複製でありながらも著作権侵害には当たらない行為であると認められました。
が、大事なのはその結論に到達した理由、論理。
これまで何度もブログ記事を書きかけては挫折してを繰り返し、ハッキリ言って全てを一回の記事で語れる気がしません。なので、自分の中で理解できた(気になった)部分ごとに何回かで書いていきたいと思います。ただ、「何回に分けて」みたいな計画性は皆無です。とりあえず理解した(気になった)ことから書いていきます。
とりあえず結論ということで、まずは判決文の結論のパラグラフ。
読んでみると、大事なのはコンピュータープログラムが”primarily functional”であるということ、そして、Googleによるコードの複製は、ある環境において培われたプログラマーの技能を異なる環境でも有効なものとするための最低限のものであるということのようです。
※訳はGoogle翻訳の力を借りつつ我流。
The fact that computer programs are primarily functional makes it difficult to apply traditional copyright concepts in that technological world.See Lotus Development Corp., 49 F. 3d, at 820 (Boudin, J., concurring).
コンピュータープログラムがprimarily functionalであるという事実は、その技術の世界において伝統的著作権概念の適用を困難化する。(略)
In doing so here, we have not changed the nature of those concepts. We do not overturn or modify our earlier cases involving fair use—cases, for example, that involve “knockoff ” products,journalistic writings, and parodies.
そうすることで、我々はそれら概念の本質を変質させていない。「盗用」製品、報道記事、パロディ等のようなフェアユースに関する従前の事例を覆し、もしくは変更しない
Rather, we here recognize that application of a copyright doctrine such as fair use has long proved a cooperative effort of Legislatures and courts, and that Congress, in our view, intended that it so continue.
むしろ、フェアユースのような著作権思想の適用は、立法府と裁判所の協力関係の努力を長く証明しており、我々の見解として、議会はそれを継続することを意図していたと認識している。
As such, we have looked to the principles set forth in the fair use statute, §107, and set forth in our earlier cases, and applied them to this different kind of copyrighted work.
そのため、我々はフェアユース条項§107や、従前の事件に記載されている原則に注目し、それらをこの異なる種類の著作物に適用した。
We reach the conclusion that in this case, where Google reimplemented a user interface, taking only what was needed to allow users to put their accrued talents to work in a new and transformative program, Google’s copying of the Sun Java API was a fair use of that material as a matter of law.
本件において、我々は、GoogleがUIを再実装し、ユーザーの培った技能を新しく革新的なプログラムで機能させることが可能となるために必要なものだけを使用した場合、GoogleによるSun Java APIのコピーは、法律問題としてその素材のフェアユースであると結論づける。
The Federal Circuit’s contrary judgment is reversed, and the case is remanded for further proceedings in conformity with this opinion.
連邦巡回控訴審の反対の判決は取り消され、この意見に従い、訴訟はさらなる手続きのために差し戻される。
後段の方、つまりUIの再実装については理解できるものの、前段の”primarily functional”については、なんとなく重要そうな指摘だという気がするだけで詳細なニュアンスが入ってきません。
とりあえず、結論はこういう感じだという理解をした上でシラバスを読み始めることにします。
※以降の訳も同様にGoogle翻訳の力を借りつつ我流。以降は訳のみを引用します。
シラバス、まずは事件の概要、経緯が語られます。
オラクルは、人気のあるJavaコンピュータプログラミング言語を使用するコンピュータプラットフォームであるJavaSEの著作権者である。2005年、GoogleはAndroidを買収し、モバイルデバイス用の新しいソフトウェアプラットフォームの構築を目指した。Javaプログラミング言語に精通した何百万人ものプログラマーがその新しいAndroidプラットフォームで作業できるようにするため、GoogleはJavaSEプログラムから約11,500行のコードをコピーした。コピーされた行は、アプリケーションプログラミングインターフェイス(API)と呼ばれるツールの一部である。APIを使用すると、プログラマーは自身のプログラムで使用するために、事前に作成されたコンピューティングタスクを呼び出すことができる。長期にわたる訴訟の過程で、下級裁判所は下記の内容を考慮した。
(1)Java SEの著作権者がAPIからコピーされた行を著作権で保護できるかどうか
(2)その場合、Googleによるコピーが、その要素についての「フェアユース」として許容され、Googleの著作権侵害を免責するかどうか
以下の議事録において、連邦巡回控訴裁判所は、コピーされた行は著作権で保護されていると判断した。陪審員がGoogleのフェアユースを判断した後、連邦巡回控訴裁判所は、Googleのコピーは法律の問題としてフェアユースではないと結論付けて覆した。損害賠償の裁判に差し戻す前に、裁判所は、著作権による保護とフェアユースの両方に関する連邦巡回控訴裁判所の決定を検討することに同意した。
そして主文です。フェアユースであると判示されると供に、さっきも出てきたUIの再実装についての内容が指摘されます。
主文:GoogleによるJava SE APIのコピーには、プログラマーが培った技能を新しい革新的なプログラムで機能させるために必要なコード行のみが含まれており、法律の問題として、その要素のフェアユースである。
次に、著作権法の根本理念とフェアユースについて語られます。
(a)憲法によれば、著作権と特許は、「著者と発明者にそれぞれの著作と発見に対する排他的権利を限られた時間だけ確保することにより、科学と芸術の進歩を促進すること」を目的とする。著作権は、著作者に一定期間作品を制作する独占的権利を与えることにより、他の人が安価に複製できる作品の制作を奨励します。そのような独占権は否定的な結果を引き起こす可能性があるため、議会と裁判所は、著作権所有者の独占が公共の利益を害しないことを保証するために著作権保護の範囲を制限した。この訴訟は、現在の著作権法における2つの制限を意味する。第一に、この法律は、著作権保護を「いかなるアイデア、手順、プロセス、システム、操作方法、概念、原則、または発見」にまで拡張することはできないと規定している。第二に、この法律は、著作権者が他人による著作物の「フェアユース」を妨げることはできないと規定している。 §107。Googleの嘆願書は、ここで問題となっているコピーに両方の条項を適用するよう裁判所に求めている。この訴訟を解決するために必要な以上のことを決定するために、裁判所は、議論のために、コピーされた行は著作権で保護される可能性があると想定し、Googleによるこれらの行の使用が「フェアユース」であったかどうかに焦点を当てる。
続いて、コンピュータープログラムが一般的な(絵画などの)著作物とは異なること、そのため、フェアユースをコンピュータープログラムの著作物において検討することが重要であることが指摘されます。
(b)「フェアユース」の原則は柔軟であり、技術の変化を考慮する。コンピュータプログラムは常に機能的な目的を果たすため、他の多くの著作物とはある程度異なる。これらの違いのため、フェアユースは、コンピュータプログラムに与えられた著作権の独占を合法的な範囲内に保つ環境に応じたチェックを提供することにより、コンピュータプログラムに対して果たす重要な役割を持っている。
そして、フェアユースに関する判断は陪審ではなく裁判所の問題であることが指摘されます。de novoというラテン語が出てきて一部よくわかりいません。
(c)フェアユースの質問は、事実と法律の混合質問です。控訴裁判所は、陪審による根本的な事実の認定を適切に延期する必要があるものの、それらの事実がフェアユースに相当するかどうかの最終的な問題は、de novo(改めて?)決断する裁判官にとっての法的な問題である。このアプローチは、陪審員が審理した事実を再検討する裁判所に対する憲法修正第7条の禁止に違反しない。ここでの最終的な問題は事実ではなく法律の1つであるためである。 「陪審による裁判の権利」には、陪審にフェアユースの抗弁を解決させる権利は含まれていない。
ここで、フェアユースに関する4つの判断要素が語られます。
即ち、(1)使用の目的と性質、(2)著作物の性質、(3)著作物全体に関連して使用される部分の量と実質性、そして、(4)著作物の潜在的な市場または価値に対する使用の影響、です。
(d)ここでのGoogleによるAPIの限定的なコピーがフェアユースを構成するかどうかを判断するため、裁判所は著作権法のフェアユース条項に記載されている4つの指針を検討する。即ち、使用の目的と性質、著作物の性質、著作物全体に関連して使用される部分の量と実質性、そして、著作物の潜在的な市場または価値に対する使用の影響(§107)である。裁判所は、それぞれの要因が他の状況よりも状況によって重要であることが判明する可能性があることを認識している。
続いて、それぞれの判断要素についての解説が始まります。まずは「著作物の性質」から始まります。APIとは何か、その価値の源泉、それらを検討すると、フェアユースの適用に前向きであることが説明されます。
(1)問題となっている著作物の性質は、フェアユースに有利である。コピーされたコードの行は、プログラマーが簡単なコマンドを使用して事前に作成されたコンピューターコードにアクセスする方法を提供する「ユーザーインターフェイス」の一部である。つまり、このコードは、実際にコンピューターにタスクの実行を指示するコードのような他の多くの種類のコードとは異なる。インターフェースの一部として、コピーされた行は、著作物性のないアイデア(APIの全体的な構成)および新しい創造的な表現(Googleが独自に作成したコード)の作品と本質的に結び付いている。他の多くのコンピュータープログラムとは異なり、コピーされた行の価値は、APIのシステムを学んだユーザー(ここではコンピュータープログラマー)のinvestment(※プログラマーがそれらのAPIを使用することを意味していると思う。多分。。。)から大部分が得られる。これらの違いを考えると、本件にフェアユースを適用することにより、議会がコンピュータプログラムに提供した一般的な著作権保護が損なわれる可能性は低い。
次に、「使用の目的と性質」についてです。既に指摘されているAPIの再実装の意義が説明され、その使用は著作権法の目的に合致していると指摘されます。
(2)使用の「目的と性質」の検討は、本件の複製が「革新的」であったか否か、つまり、「何か新しいものを追加しているか、さらなる目的または異なる性質を有するか」否かについて大きな尺度を与える。GoogleによるAPIの限定的な複製は、革新的な使用法である。Googleは、プログラマーにとって慣れたプログラム言語の一部が無駄にならず、異なるコンピューティング環境において機能するために必要なもののみを複製した。Googleの目的は、異なるコンピューティング環境(スマートフォン)向けに異なるtask-related systemを作成し、その目的の達成と普及に役立つプラットフォーム(Androidプラットフォーム)を作成することだった。この記録は、インターフェースを再実装することでコンピュータープログラムの開発を促進できる多くの方法を示している。したがって、Googleの目的は、著作権自体の基本的な憲法上の目的である創造的な進歩と一致していた。
次に「使用される部分の量と実質性」です。量は全体の0.4%であり、「実質性」は著作物の複製が異なる環境へのスキルの移植を可能とするためのものであると指摘して、フェアユース適用に前向きであると説明しています。
(3)GoogleはAPIから約11,500行の宣言コード(declaring code)をコピーした。これは、何百もの異なるタスクを呼び出すために必要な実質的にすべての宣言コードに相当する。ただし、これらの11,500行は、合計286万行で構成されている問題のAPI全体の0.4%にすぎない。この場合の「使用される部分の量と実質性」を考慮すると、11,500行のコードはかなり大きな全体の1つの小さな部分と見るべきである。インターフェースの一部として、コピーされたコードの行は、プログラマーがアクセスする他のコード行と密接に結びついている。Googleは、創造性や美しさのためではなく、プログラマーが新しいスマートフォンコンピューティング環境に自身のスキルを持ち込むことができるようにするために、これらの行をコピーした。「実質性」の要素は、このように、コピーの量が有効で革新的な目的に結び付けられている場合、フェアユースに有利に働くのが一般的である。
最後に、「著作物の潜在的な市場または価値に対する使用の影響」です。複製された先であるAndroidは、Java SEの市場とバッティングしないことが指摘され、フェアユースに対して有利に働くことが説明されます。
(4)第4の法定要素は、「著作物の市場または価値」における複製の「効果」に焦点を当てている(§107(4))。ここで、公判録は、Googleの新しいスマートフォンプラットフォームがJavaSEの市場代替品ではないことを示している。この公判録は、そのインターフェースの別の市場への再実装により、Java SEの著作権者が利益を受けることも示している。最後に、これらの事実に著作権を行使することは、公共に対して創造性に関連した危害を引き起こす危険性がある。これらの考慮事項を総合すると、4番目の要素である市場への影響もフェアユースに有利に働くことを示している。
ということでフェアユース判断のための4つの要素が語られた後に、最初に引用した判決文の最後のパラグラフと同様の文章が出てきます。ここまで読んでも”primarily functional”の詳しいニュアンスがイマイチわかりませんが、一般的な絵画などの著作物のように鑑賞性、芸術性を提供するものではなく、機能を提供するものである、ということでしょうか。とにかく、そのためにコンピュータープログラムへの著作権法の適用が一筋縄では行かないという前提の上で、本件ではフェアユースが成立すると結論付けられます。
(e)コンピュータプログラムがprimarily functionalであるという事実は、その技術の世界において伝統的著作権概念の適用すを困難にする。裁判所の判例の原則とフェアユースの原則に関する議会の成文化を、本件の明確な著作物に適用すると、裁判所は、ユーザーインターフェースを再実装するためにGoogleがAPIをコピーし、ユーザーが培った技能を新しい革新的なプログラムで機能させるために必要なものだけを使用することは、法律の問題としてその素材のフェアユースを構成すると結論付ける。この結果に到達するにあたり、裁判所はフェアユースを含む以前の訴訟を覆し、若しくは修正しない。
そしてシラバスの最後に反対意見が提出されていること等が語られます。
BREYER, J. は、裁判所の意見を述べ、ROBERTS, C. J., and SOTOMAYOR, KAGAN, GORSUCH, and KAVANAUGH, JJ. が支持した。THOMAS, J. は反対意見を提出し、ALITO, J. が支持した。BARRETT, J. は、事件の検討または決定には関与しなかった。
というわけで、とりあえず
・GoogleによるUIの複製は、あるコンピューティング環境において培われた技能(Java SEのスキル)が他の環境でも役立つようにするために行われた。
・コピーした行は宣言コード(declaring code)であり、約11,500行だったが、これは全体の0.4%だった。(これは「全体」の捉え方次第で変わってしまう気がしますが。。。)
・GoogleによるコピーはAndroidプラットフォームのために行われたものだが、AndroidプラットフォームはJava SEの市場に影響を与えず、むしろ利益を与えることすらある。
ということが検討されてフェアユースが判断されたことくらいは理解できました。
とにかく重要なのは、フェアユースの4つの判断基準、即ち、(1)使用の目的と性質、(2)著作物の性質、(3)著作物全体に関連して使用される部分の量と実質性、そして、(4)著作物の潜在的な市場または価値に対する使用の影響、ということかと思います。
判決文の本文ではそれぞれの項目について更に語られているので、次回以降、そこを読んでいきつつ、最終的にはコピーされた具体的なコードの内容にも踏み込んでいけたらいいなぁ。。。
“米国最高裁判決、グーグルvオラクル Java訴訟 ~その1.結論とシラバス~” への9件のフィードバック